
復讐の契りと、車椅子の君
章 3
病院の特別個室――
安田真紗はベッドに横たわり、いまだ意識が戻らぬままだった。
そのすぐそばには、黒のオーダースーツを着た男性が車椅子に座っている。
男の年は二十七。整った薄い唇と端正な横顔は、まるで神が彫ったかのように完璧で、その佇まいには凍てつくような冷たさと、近寄りがたい気品が漂っていた。
「中村会長……下半身の麻痺は、残念ながら改善の兆しがなく……むしろ、悪化しております」
奥田院長は、言葉を選びながら、震えるように首を振った。 「このままでは完全に動かなくなるのも時間の問題かと。完治を望むなら……「闇無き」しか、道はないでしょうな」
中村陽――中村グループの会長にして、中村家の現当主。
中村家は由緒ある名家であり、その根は深く、謎の家族。
そして、その家を率いる中村陽こそ、琴口市で最も注目を集める存在、誰もが一目置く男だ。
正統な嫡孫として生まれた彼は、わずか六歳にして、単独で国際犯罪組織のファイアウォールを突破。たった10分で数千億規模の不正資金を回収し、犯罪の温床を一掃してみせた。
十歳で国家の新エネルギー分野において次々と特許を取得し、中村家が市場を独占する礎を築いた。
十五歳では、父と共にグローバル市場の拡大に尽力し、かつて没落寸前だった旧家を、世界の権力者すら警戒する巨大財閥へと押し上げた。
そんな無敵ともいえる男が、三年前のある事故で下半身不随となり、残りの人生を車椅子と共に生きることになるとは――誰が予想できただろうか。
そして今、差し迫った事態が――……
中村陽はうっすらと目を上げた。「今の俺の状態で、子どもを作ることなんて、できるのか?」
祖母は重い病に冒されており、もう長くはないかもしれない。彼女の唯一の願いは、曾孫の顔を見ることだった。
「えっ……?」
奥田院長の顔色がさっと変わった。
……
安田真紗は、橋の上でどれほどの時間を横たわっていたのか分からなかった。救急車に運ばれたのがいつだったのかも、全然知らなかった。
ただ、ぼんやりとした意識のなかで――
彼女は、冷ややかで疎ましげな深い瞳を見た気がした。
とても見覚えがあるように感じたのに、誰なのかは分からない。
だが次の瞬間、その目が突然、宮新隼人の嫌悪と軽蔑に満ちた顔に変わった――!
「安田真紗、死ねばいいのに!なんでまだ生きてるんだよ!」
「おまえが死ねば、成子とやっと一緒になれるんだ。おまえなんか、邪魔なだけなんだよ、さっさと死ね!」
――ダメだ!
もしここで死んでしまったら、それこそあの下劣な男女の思うつぼじゃないか!
母の一生の苦労で築き上げた財産も、これまで積み重ねてきた研究成果も――すべてが宮新隼人のものになるなんて!
絶対に許せない。
そんなの、嫌……!
安田真紗は、ぱちりと目を見開いた。目に飛び込んできたのは、見慣れた天井だった。
鼻をつく強い消毒薬の匂いが一気に押し寄せ、胃が激しくうねる。思わずお腹を押さえ、えずくように身体を折り曲げる。
――けれど、今回は。
彼女はかすかに、安堵していた。生きていることが、ただ、それだけで嬉しかった。
「目が覚めたか?」
低くくぐもった声が、耳元にふわりと届く。
その瞬間、真紗の細い身体がびくりと震えた。背中には、冷たい汗が一気に噴き出していた。
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