
十年間の忍従、復讐の調香師
章 3
細川瑞樹 POV:
閉じ込められた部屋は, 豪華ではあったが, 私にとっては薄暗い監獄だった. 壁の絵画も, 高価な調度品も, 私には何の価値もなかった. ただ, 密閉された空気だけが, 私の呼吸を圧迫していた.
「開けて! お願い, 開けてください! 」
私はドアを叩き続けた. 私の声は, 虚しく部屋の中に響き渡るだけだった. 喉が枯れ, 指先が赤く腫れ上がったが, 誰も答える者はいない. 壁は, 私の絶望を嘲笑うかのように, 冷たく沈黙していた.
膝から崩れ落ち, 私は床にへたり込んだ. 体中の力が抜けていく. 携帯電話は, 翔風に奪われていた. 外部との連絡手段は, 何一つない. 私は完全に孤立無援だった.
頭の中で, 看護師の切迫した声が何度も繰り返される.
「結子様の容態が急変しました! 意識レベルが低下して, 心拍も不安定です! 」
結子... . 私の, 大切な弟.
私は, あの時の結子の笑顔を思い出した. 事故で下半身不随になって以来, 彼はいつも私に, 無理にでも笑顔を見せてくれた.
「ねえちゃん, 早く元気になって, 俺の分までたくさん生きてね. 俺は, ねえちゃんの幸せが一番大事だから」
彼は, いつも私の幸せを願ってくれた. そして, 私は彼に誓ったのだ. どんなことがあっても, 守り抜くと. 彼の命を, 何としてでも繋ぎ止めると.
なのに, 今, 私は何もできない. 私は, ただこの部屋に閉じ込められているだけだ.
翔風. 彼の冷たい目, 嘲笑するような言葉.
彼は, 私の唯一の希望を, 奪おうとしている.
私を, 本当に愛していたとでも? そんな感情, 彼の心には一瞬たりとも存在しなかった. 彼はただ, 私を罪悪感で縛り付け, 彼の側に置いておきたかっただけだ.
「瑞樹, お前は本当に美しい. その瞳の奥には, 誰も知らない情熱が隠されている」
彼の言葉が, フラッシュバックのように脳裏をよぎる. あれは, 私たちの婚約初期の頃の言葉だった. 彼は確かに, 私を特別だと言った. あの頃の私は, 彼の言葉を信じていた. 彼の瞳に映る私が, 彼の言葉の通り, 特別な存在であると信じていた.
しかし, その幸福は, あまりにも脆かった.
あの事故の日.
病院の白い天井が, 私の視界いっぱいに広がっていた. 全身を襲う激痛と, 耳元で聞こえる, 医者の冷たい声.
「細川瑞樹さん, 目を覚ましましたか. 残念ながら, あなたの弟さんは... 」
そして, 翔風の声.
「お前がやったんだ! お前が, イチゴを, 俺の初恋を奪ったんだ! 」
彼の顔は, 怒りと憎悪に歪んでいた. 彼は, 私のベッドサイドで, 私を激しく罵倒した.
「お前のせいで, イチゴは声を失った! お前の弟も, 再起不能だ! すべて, お前の嫉妬と策略のせいだ! 」
私は何も言えなかった. 全身の麻痺と, ショックで, 声が出なかった.
翔風は, 私の弟のことまで罵倒した.
「お前たち姉弟は, 俺の人生を破壊した疫病神だ! だが, 安心しろ. 俺がお前の弟の治療費を出してやる. お前は一生, 俺に償うんだ」
私は, 彼の言葉に, ただ震えるしかなかった.
その日以来, 私は彼の人形になった. 彼が信じる「罪」のために, 彼に全てを捧げると誓った.
しかし, 私は知っていた. その事故は, 私のせいではないことを.
翔風の祖父, 三浦会長. 彼が, 翔風の結婚相手として相応しくないと判断した上條苺を排除し, そして, 家柄の劣る私を, 翔風に恩を売る形で縛り付けるために, 仕組んだことだった.
翔風と苺が乗っていた車に細工をし, 私が運転する車と衝突させた. すべては, 会長の周到な計画だった. 私は, ただ, その計画の「都合の良い」駒として利用されただけなのだ.
弟の命を人質に取られ, 私は彼に逆らうことはできなかった. 弟の莫大な治療費と, 最先端の医療技術. それを翔風が提供してくれる限り, 私は彼に尽くすしかなかった.
しかし, 今, 翔風は, その弟の命を, 見殺しにしようとしている.
私の心の中で, 何かが完全に砕け散った.
もう, 何も残っていない. 何も, 縛るものはない.
部屋は, どんどん暗くなっていく. 時間の感覚が曖昧になり, 私がどれくらいの時間, ここに閉じ込められているのかも分からなかった. ただ, 結子の顔だけが, 私の瞼の裏に焼き付いていた.
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