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その日、ウェディングドレスを着たのは彼女だった の小説カバー

その日、ウェディングドレスを着たのは彼女だった

瀧ノ上瑞貴が支援していた貧しい学生に心を奪われたことで、私たちの関係には修復不能な亀裂が生じた。長く続いた倦怠期の末、すべてをさらけ出したあの日、瑞貴は葛藤しながらも私を選び、彼女を突き放したはずだった。しかし、運命の歯車は婚約パーティーの当日に残酷な形で回り出す。会場付近の湖で溺死体が見つかったという噂を耳にした瞬間、彼は理性を失い、激しく動揺した。「この扉を出て行けば、二人の未来は永遠に失われる」という私の必死の制止も、今の彼には届かない。瑞貴の瞳には私への憎悪が宿り、彼女を失う絶望に耐えるくらいなら死を選ぶとまで言い放った。私を憎ませるなと言い捨て、彼は振り返ることなく愛する少女のもとへ駆け出していく。純白のウェディングドレスを纏ったまま、私は一人その場に取り残された。もはや、去りゆく背中を追いかける理由も、戻らない人を待ち続ける意味もどこにもない。静かな笑みを浮かべながら、私は彼との日々に自ら終止符を打つ決意を固めた。
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2

婚約披露宴は形ばかりで終わり、江原家は世間の笑いものになった。誰もが口を揃えて、私は瀧ノ上瑞貴に捨てられた哀れな女だと言った。

母は赤くなった目で記者たちの前に立ちはだかり、まるで弾丸を受け止める盾のように私を庇った。父は背を丸め、招待客に頭を下げてまわった。

ようやく人が引きはじめたのは、夕方になってからだった。

その夕方、玄関の扉が開いた。

瀧ノ上瑞貴が、全身ずぶ濡れの柳瀬薫を抱きかかえ、優しくあやしながら入ってきた。

彼女をこんな間近で見るのは、これが初めてだった。透き通るような肌に、赤く染まった目尻。確かに、無垢な白兎を思わせるものがあった。

私が冷ややかな顔で部屋の中に立っているのを見ると、柳瀬薫は怯えたように身をすくめ、瀧ノ上瑞貴の胸元にさらに身を寄せた。

瀧ノ上瑞貴は眉をひそめ、不機嫌そうな声で言った。「江原瑶子、表情をどうにかしろ。薫が怖がっている」

私はそれを無視し、持ち出す荷物を淡々とまとめ続けた。

母が台所から鶏のスープを運んできた。瀧ノ上瑞貴の姿にはほとんど目もくれず、まっすぐ私の前に来て差し出す。「瑶子、これを飲んで体を温めなさい」

口をついて出そうになった感謝の言葉。そのとき、柳瀬薫が突然、涙を溢れさせた。まるで花が雨に濡れたような、あどけない泣き顔で。

「瀧ノ上社長……私……私も、お母さんに会いたいです……。誰にも、一度も、こんなふうにスープを作ってもらったことなんて……」

瀧ノ上瑞貴は柳瀬薫の頬をそっとぬぐいながら、私を見る目には明らかな敵意が宿っていた。

「江原瑶子、薫の家庭事情は知っているだろう。なのに、わざわざお母さんを呼んで、目の前で母娘の仲睦まじさを見せつけるなんて、楽しいか?」

「薫は純粋なんだ。ああいう子は深く気にする。どうしておまえは、いちいち彼女と対立しようとするんだ?」

私は静かに彼の視線を受け止めた。「彼女に親がいないことと、私になんの関係があるの?」 「私が彼女を敵視してる?自意識過剰もたいがいにして」

瀧ノ上瑞貴と口論すること自体めったにないが、ここまで強く責め立てたのは初めてだった。彼は一瞬きょとんとし、それからすぐに苛立ちを見せた。 「おまえに関係ないとしても、薫がこんなふうになった責任はおまえにもあるだろ」

「おまえがあのとき、彼女を遠くにやれって無理に言わなければ、あいつは……」

言いかけた言葉は、そこでぴたりと止まった。

私は瀧ノ上瑞貴の薬指が、今は何も身に着けていないのを見つめた。ただただ、滑稽に思えた。

――彼は、私を責めている。

ひとつの嘘を守るために、いくつもの嘘を塗り重ねる。たとえ互いに愛しているふりをしたところで、美しい夢に綻びが生じたとたん、その下に隠された真実が、容赦なく姿を現す。

彼は知っている。私が決して彼を許していないことを。そして、自分がいまだに彼女を忘れられていないことも――。

胸の奥に、またじんとした痛みが込み上げる。喉にせり上がった嗚咽を無理やり飲み込んで言った。「それで……どうしたいの?」

瀧ノ上瑞貴は視線を逸らし、もうこちらを見ようとはしなかった。「ご両親には最高のホテルを手配するよ。まずは、帰ってもらおう。薫が見たら、気分を害するかもしれないから」

「瑶子、この数日は家で薫の食事や生活の世話を頼む」

視線を上げて彼を見据える。「私も行くわ」

瀧ノ上瑞貴は、まさかそんな言葉が返ってくるとは思わなかったのだろう。ほんの一瞬、動きを止めた。そして次の瞬間、目の奥にほのかな安堵が灯る。「瑶子……やっぱり君は一番思いやりがある。 そうだな、人が多すぎるのは薫の療養にもよくない。安心して、薫が元気になったら、必ず君を迎えに行く」

そう言って、彼は一歩近づき、私の手を取ろうとした。

瀧ノ上瑞貴は、もともと自分から動くような人ではなかった。けれど今となっては、それは"誰に対してか"によるのだと、嫌でも思い知らされる。

指先がわたしに触れそうになった、まさにその瞬間――柳瀬薫が彼の腕を引き止めた。瀧ノ上瑞貴は反射的に顔を向ける。 その瞳に映ったのは、今にも涙をこぼしそうな柳瀬薫の姿だった。「瀧ノ上社長……寒くて……」

震える声に、それ以上の言葉は要らなかった。彼は焦ったように彼女を抱きかかえ、浴室へと足早に消えていく。

半開きのドアの隙間から、わたしにははっきりと見えた。彼が片膝をつき、丁寧に濡れた上着を彼女の体から脱がせている姿を。

「瀧ノ上社長……自分でできます……」

「いい子にしてて。手首を動かしちゃダメだって、医者に言われただろう?」

その背中が、記憶の中にあるあの背中と重なった瞬間、喉の奥がひどく締めつけられた。目を固く閉じて、込み上げる涙をごくりと飲み込む。

大学を卒業したばかりの頃、まだ三十平米にも満たないあの狭いアパートで、瀧ノ上瑞貴はいつも私を気遣ってくれていた。あの頃は、たった一つの缶のリングで、未来を誓えるほどだった。

けれど、今はもうすべてが変わってしまった。私はとっくに気づくべきだったのだ。今の瀧ノ上瑞貴は、あの頃私が恋したあの少年ではないと。

「でも、瑞貴……私はもう戻らない」

この瞬間、彼と籍を入れていなかったことが、どれほど正しかったかを思い知った。少なくとも、夫婦としての財産の問題は存在しない。けれど、それでも――

「江原社長、財産混同の額が非常に大きく、清算にはあと1週間ほどかかりそうです」

秘書の報告に、わたしは静かにうなずいた。

もう決めたのだ。だからこそ、瀧ノ上瑞貴にわたしの分を一銭たりとも残す気はない。七年耐え抜いたのだ、一週間など取るに足らない。

再び会社に戻ると、社員たちの視線が一斉に注がれた。どれもが言いたげで、しかし口を噤んでいる。きっと、瀧ノ上耀真と柳瀬薫の噂を推し量っているのだろう。

エレベーターに乗り込み、やっとその詮索の視線から逃れられた。胸の奥にひとすじ、安堵が流れる。

だが次の瞬間、ふと目に飛び込んできたエレベーターの操作盤には、びっしりとウサギのステッカーが貼られていた。

目を見張るわたしに気づき、秘書がおずおずと口を開く。「それは…柳瀬さんが貼ったものです。瀧ノ上社長は"好きにさせておけ"と…清掃にも手をつけさせませんでした…」

彼女は、私と瀧ノ上瑞貴の関係が普通ではないと察しているのだろう。気まずそうに、しかし慎重に口を開いた。「瀧ノ上社長は情に厚い方です。あの子が援助枠で入学したうえに、身寄りもないから、少し気にかけていらっしゃるだけで……江原さんとは、まったく違いますよ」

――そう、かつては私も、そう信じていた。

でも、彼は突然、私を愛さなくなった。

「私たちの間に、もう何の関係もないの」

秘書が反応できずに聞き返す。「えっ、今なんと?」

私はエレベーターのボタンに貼られた、ピンク色のハート型ステッカーを見つめながら、もう一度はっきりと言った。「瀧ノ上瑞貴とは、もう何の関係もないわ!」

その瞬間、扉が開いた。

そこに立っていたのは、上から私を見下ろす瀧ノ上瑞貴。そして、その背後には、ふわふわのプリンセスドレスを着た柳瀬薫の姿があった。

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