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氷解のカルテ ~十年後、捨てたはずの彼女に跪く~ の小説カバー

氷解のカルテ ~十年後、捨てたはずの彼女に跪く~

美しく変貌を遂げた水原澄子の前に、かつての初恋相手・佐伯司が担当医として現れる。十年前、醜く太っていた彼女は彼の友人たちから蔑まれ、生活を切り詰めて贈った高級ヴァイオリンを「ガラクタ」と一蹴された。その屈辱を胸に、澄子は血の滲むような努力で過去を捨て、別人のような美貌を手に入れたのだ。再会は予期せぬ事故だったが、冷徹な支配者だったはずの司は、彼女を前にして理性を崩壊させていく。あらゆる手段で彼女を囲い込み、逃げ場を奪う司。「君の命運は僕が握っている」と告げる彼に対し、澄子の傍らにはすでに結婚を誓った婚約者の影があった。焦燥に駆られ、デスクに彼女を押し付けた司は、充血した瞳で「別れろ、君の最愛は僕だ」と咆哮する。かつての仕打ちを「お遊び」と切り捨て冷笑する澄子に対し、策の尽きた傲慢な男はついに膝を突き、なりふり構わず愛を乞う。これは、十年の時を経て立場が逆転した二人の、執着と狂愛に満ちた復讐劇。かつて彼女を捨てた男が、今度は生涯をかけて彼女に跪くことになる。
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1

十年ぶりに帝都へ戻った水原澄子は、あろうことか初恋の相手とこんな形で再会することになろうとは、夢にも思わなかった。

このところ、胸にずっと痛みがあった。気になって病院で検査を受けたが、途中で担当医は「少し難しい症例なので、主任を呼んできます」と言い残し、検査室を出ていった。

澄子はなす術もなく、落ち着かない心地でベッドの縁に腰掛けていた。

検査室のドアが再び開き、あの見覚えのある姿を目にした瞬間、彼女は固まった。

「この症状は、いつからですか?」

低く、重く、鼓膜を震わせるその声に、澄子はびくりと体を強張らせた。

男はマスクで顔の下半分を隠し、縁なし眼鏡の奥で、黒い瞳がまっすぐに彼女を見つめている。

「さ……三ヶ月、前から……です」 射すくめるような視線から逃れるように、澄子は慌てて目を伏せた。指先が白くなるほど、スカートの裾を強く握りしめる。

(今すぐここから逃げたい)

帝都に戻ってきてまだ二ヶ月。まさか佐伯司に会うことになるなんて。

頭の中は真っ白で、どう反応していいかわからなかった。

「横になって、服をまくり上げてください」 感情を削ぎ落としたような低い声が、再び再び響いた。

澄子がおそるおそる顔を上げると、再び視線が合った。息が乱れた。

司がなかなか動こうとしない彼女を見て、声に少し苛立ちをにじませた。「何か問題が?」

「いえ、すみません」澄子は深く息を吐き出すと、意を決して診察台に横たわり、強く目を閉じた。

それからというもの、一分一秒が永遠のように長く感じられた。冷たい器具が肌に触れるたび、思考は千々に乱れ、鼻の頭にはじっとりと汗が滲んでくる。

「痛かったですか?」

不意に投げかけられた言葉に、澄子は短く首を振った。「いえ……」

どれほどの時間が経っただろうか。ようやく、「はい、結構です。服を下ろして」という解放の合図が聞こえた。

司が立ち上がる気配がし、足音が遠ざかっていく。その音が完全に消えるのを待ってから、澄子は震える瞼をようやく開けた。

慌てて服を整え、乱れた呼吸を落ち着かせるためにしばらくベッドに座り込む。それからようやく、重い足取りで彼の待つデスクへと向かった。

司は背筋を凛と伸ばし、電子カルテを打ち込んでいる。

あの長く整った指はほとんど変わっていなかった。学生の頃と同様、ピアノの先生が褒め称えたあの手だ。

残念ながら彼はピアノではなくバイオリンを選んだ。校内外にファンが溢れ、隣の市から遠征してくる熱狂的な信者までいたほどだ。

そんな彼が、当時は自分にこれっぽっちも関心のなかった「そばかすだらけの太っちょ」とネット恋愛をしていたなんて、誰が信じるだろうか。

「どのくらい続いていますか?」司が彼女を一瞥した。

澄子は居住まいを正し、ごくりと喉を鳴らす。「二十日くらいです」

彼女は確信した。司は私に気づいていない。

彼女はもうあの頃のそばかすだらけのぽっちゃり娘、「水原詩織」ではない。

名前を変え、必死にダイエットに励み、遺伝だと諦めていたそばかすもすべて消した。実の母親でさえ一瞬誰だかわからなかった変貌ぶりだ。十年間一度も会っていない彼が気づくはずがない。

そう思うと、澄子の心にわずかな冷静さが戻ってきた。

「普段、夜更かしはしますか?」

「……十二時に寝るのは、夜更かしになりますか?」

澄子の問いに、司はわずかに眉をひそめた。「今後は、できるだけ十一時前には休むようにしてください」

「はい、わかりました」まるで上司に報告するような、余所余所しい返事になってしまう。

「ご結婚は?」

「……していません」

「出産経験は?」

「ありません」

澄子の手のひらには、また嫌な汗が滲んでいた。

司は事務的な口調で診断を告げた。「良性の乳腺のしこりです。乳房の張りや痛みが出るのは普通です。 ただし、生活習慣に注意しないと、悪性の乳腺腫瘍になる恐れがあります」

「腫瘍……それって、癌になるってことですか?」背筋に冷たいものが走った。

司は目の前の女性を見た。地味な格好で、若く、顔色が少し青ざめている。自分の言葉に驚いたのだろう。

「必要以上に心配しないでください。今日から規則正しい生活をし、定期的に検診に来てください」

「わかりました、佐伯――」本能的に彼の名を呼びかけ、慌てて言葉を飲み込む。

「……佐伯先生、ありがとうございました」

司は印刷された診療明細を引き抜き、澄子の前にそっと押し出した。「次回からは、直接私の外来を予約してもらって構いません」

澄子は唇をきゅっと噛みしめた。「……あの、別の先生にお願いすることはできますか?」

終始うつむいたまま、彼女の頭の中には「逃走」の二文字しかなかった。

司は一瞬だけ虚を突かれたように目を見開いたが、すぐにいつもの冷徹な表情に戻り、「ええ、構いませんよ」と短く応じた。

「ありがとうございます」 澄子は顔を上げることなく、机の上の明細書をひったくるように手に取ると、脱兎のごとく診察室を後にした。

その背中を、司はわずかに眉根を寄せて見送っていた。

「先生、そんなに素っ気ない態度ばかりだと、いつかクレームが来ますよ」隣にいた看護師が、呆れたように口を挟む。

「佐伯先生なら大丈夫ですよ。なんたって超売れっ子の名医ですから」別の医師が冗談めかして笑った。「先生の予約を取るための行列、ここから南半球まで続いてるって噂ですよ」

司の患者は絶え間なく続き、すべての診察を終えたのは午後一時を過ぎていた。

ようやく職員食堂で遅い昼食を口にしようとした時だ。「やっと見つけたぞ、司」黒いスーツ姿の男がトレイを手に現れ、司の向かいにどっかりと腰を下ろした。

司は男を一瞥する。「院長秘書ともあろう者が、こんな時間に飯か?」

「それがさ」田中浩介は苦笑しながら言った。「今日、高校の同級生の渡辺拓也に会ったんだよ。隣のクラスの女子と結婚するんだと。招待状、お前の分も預かってきたぞ。絶対に来いってさ」

ここ数年、同級生の結婚式に出席する機会は確かに増えた。もう二十八歳で、そろそろ落ち着く年頃だからだ。

「奥さん、お前らと同じ合唱部だったんだってな。そういえば、合唱部にもう一人いたろ?あの子」 司が思い出せないとでも思ったのか、浩介は悪戯っぽく口の端を上げた。「ほら、『ごま煎餅』だよ」

司の食事が、わずかに止まった。「あいつ、ここ十年誰とも連絡が取れないらしいんだ。同窓会にも来ないし、古い仲間の結婚式にも顔を出さない。完全に蒸発しちまったよな」

「……」 「なあ、やっぱり『ごま煎餅』なんてあだ名で呼ばれてたの、気にしてたのかな。正直、そばかすも愛嬌があって可愛かったと思うんだけどな。ちょっと、数が多すぎたけど……」司は返事せず、食事の手を一瞬止めた。

『ごま煎餅』。水原詩織。

十年前、何も告げずに自分の前から消えた、あの女の影が脳裏をよぎった。

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