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禁欲モード崩壊──彼女が黙った夜、俺は壊れた の小説カバー

禁欲モード崩壊──彼女が黙った夜、俺は壊れた

京都の由緒正しき名家、青玉家の御曹司である青木浩司は、非の打ち所がないエリートとして知られていた。しかしその本性は、冷徹な自制心で心を凍らせた孤独な男。彼は愛想の良い振る舞いを崩さない妻、石川凪に対して苛立ちを募らせていたが、ある時を境に凪は彼への歩み寄りをやめてしまう。婚前協議の定めに従い、沈黙を貫くようになった彼女。雨が窓を叩く夜、浩司はついに抑え込んできた激情を爆発させる。ガラス越しに彼女を追い詰め、焦がれる想いを吐露する浩司に対し、凪は冷ややかに微笑み、契約書に彼の命を救う義務などないと告げるのだった。常に禁欲的で完璧だった男の理性は、凪という存在を前にして無残にも崩壊した。夜の闇よりも深い口づけを交わし、ブレーキを失った彼の愛は、やがて周囲を驚愕させるほどの執着へと変わっていく。京都の社交界で「妻を溺愛しすぎる男」として語り継がれることになる、一人の御曹司の豹変と、契約から始まる狂おしい愛の物語。
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彼の目は、舐めるように彼女の見事な肢体をなぞり、その意図は火を見るより明らかだった。

凪の表情が微かにこわばる。 だが、ここで引き下がるわけにはいかない。 彼が本当にここで一線を越えるとは、どうしても信じられなかった。

彼女はセーターの裾を掴むと、ゆっくりと、ためらうようにまくり上げた。

黒いセーターの下から細く白い腰があらわになり、純白の下着の縁がひときわ目を引く。

その瞬間、浩司はあからさまな嫌悪を浮かべ、彼女を乱暴に突き飛ばした。

よろめきながらも、凪はかろうじて体勢を立て直す。 内心に込み上げた安堵を押し殺し、か弱く傷ついた表情を装った。

浩司は、その芝居がかった女を一瞥した。 金のためなら、どんなことでもするのだろう。

金に目が眩み、己の死後にこの女が「若き未亡人」の烙印を一生押されることなど、想像も及ばないに違いない。

自分はどうなっても構わない。 だが、結婚は遊びであってはならない。

「出ていけ!」

浩司は、こうした偽善的な女が心の底から嫌いだった。

凪は、大赦を得た罪人のように内心で歓喜しながらも、表向きは名残惜しげな表情を崩さない。

「あなた……」

「二度言わせるな!」浩司は声に苛立ちを滲ませた。

凪はためらうことなくセーターを下ろし、ソファの上着をひっつかむと、弾かれたように部屋を飛び出した。

クラブを出て、ようやく凪は大きく息を吐き出すことができた。

上着を羽織っていなくても寒さは感じない。 心臓だけが、まだ激しく脈打っている。

刺激的で危険な駆け引きだったが、無事に切り抜けられたのは僥倖だった。

まさに九死に一生を得た心境だ。 翌日、凪は平野 奏を誘い、豪華なランチに出かけた。

「あんた、 本当に肝が据わってるわね」 奏は呆れたように、 それでいて感心したように言った。

凪は奏の腕にじゃれつくように自分の腕を絡ませる。 「虎穴に入らずんば虎子を得ず、って言うでしょ」

奏は彼女に脱帽するほかなかった。

「彼が本気であんたをどうこうするかもしれないって、怖くなかったの?」

「あの顔、あのスタイル、あの家柄よ。 むしろ好感度は高いわ」

「は?」奏が眉をひそめると、凪は悪びれもせずに付け加えた。

「なんなら彼の子を産むのも悪くないかも。私たちの子なら、 絶対に綺麗だもの」

奏は絶句した。

凪が楽しそうに笑うので、奏はあまり羽目を外しすぎないようにと釘を刺した。 もし相手が再び離婚を切り出してきたら、その話に乗ってしまえばいい、と。

結婚生活で暴力を振るわれても、それは立派なDVだが、夫婦間の問題として加害者が大した罰を受けないケースも多いのだから。

「わかってるって」 凪は、奏が自分のために言ってくれていると知っているので、素直に頷いた。

食事を終え、 二人が談笑しながらショッピングモールを歩いていると、 突然、

凪が足を止めた。

奏もその視線の先を追い、顔をしかめる。 「クズ男!」

凪は林 伸一に会いたくなかった。 感情の問題ではない。 ただ、生理的な嫌悪がそこにあった。

「行くよ」 凪は奏の手を引き、別の方向へ歩き出そうとする。

奏は納得がいかない。 「何を怖がってるの? まだあいつを懲らしめてないじゃない」 そう言うと、凪の手を振りほどき、袖をまくって殴りかからんばかりの勢いを見せた。

凪は慌てて彼女を掴む。 「怖いんじゃない。 汚いものに触れたくないだけ」

それを聞いて、奏は軽蔑するように地面に唾を吐いた。 「そうね、反吐が出る」

二人は踵を返し、その場を去ろうとした。

「石川 凪」 しかし、伸一が追いすがってきて二人の前に立ちはだかった。

奏は凪を庇うように一歩前に出て、伸一と一戦交えようと身構える。

凪はそんな奏を自分の横に引き寄せ、冷ややかに伸一と向き合った。 「何の用?」

「お前のせいで俺はめちゃくちゃだ。 何の用か、わかるだろう?」 面目を丸潰れにされたのだ。 この女を懲らしめなければ、腹の虫が収まらない。

言うが早いか、伸一は凪を掴もうと手を伸ばした。

凪は素早く身をかわし、彼に指一本触れさせない。

伸一は苛立ち、さらに乱暴に彼女の手首を掴みにかかった。

だが凪は逆に彼の手を振り払うと、その頬を渾身の力で打ち据えた。

空気を裂くような乾いた音が響き渡り、凪の手がじんじんと痺れる。

伸一は顔を背け、驚愕に目を見開いて凪を睨みつけた。 「石川 凪、よくも殴ったな!」

「ナイフを持ってなかっただけ感謝しなさい」 凪は憎しみに満ちた目で言い放った。 「それから、もしまた私に付きまとうなら、今度はあんたの家に乗り込んであげる」

凪は元来、相手が強いほど燃える気性で、一度怒りの導火線に火がつけば、命知らずな行動も辞さない。

伸一と凪は交際していたとはいえ、実際に会ったのは数回で、やり取りのほとんどは電話かメッセージアプリだった。

凪はいつも優しく、思いやりに溢れていたため、伸一は彼女を妖艶な見た目に反して大人しい女だと思い込んでいたのだ。

まさか、これほど気の強い女だったとは。

この女は、徹底的に躾ける必要がある。

野次馬がじわじわと増えてきたのを見て、奏は凪の手を引いてその場を離れた。 こういう状況では、非難の的になるのは、たいてい女の方だ。

伸一は殴られた頬をさすりながら、凪の背中に向かって吐き捨てた。 「お前がいつまで強気でいられるか、見ものだな!」

少し離れた場所で、浩司が先ほどの一部始終を目撃していた。

凪が男の頬を打ち据えた、あの鮮烈な場面も含めて。

隣に立つ古川 良介は、凪の物怖じしない態度に内心舌を巻いていた。

「あの男は林 伸一という有名な放蕩息子です。 数日前、界隈で彼に関する動画が出回りまして。 どうやら、それを撮影して流したのは奥様のようです」

動画はすでに伸一が手を回して削除させていたが、良介はそれを見つけ出し、浩司にスマートフォンを差し出した。

浩司は動画を最後まで見ても、無表情なまま何も言わなかった。

良介は口を引き結んでスマホをしまう。 「この林 伸一は素行の悪い男です。 奥様にあれだけの恥をかかされたのですから、報復に出る可能性も」

「報復されるのも、 自業自得だろう」 浩司は踵を返した。

良介は言葉を失った。

浩司様は、凪様がご自身の戸籍上の妻であることをお忘れなのだろうか。 良介はそう思わずにはいられない。

良介は浩司の後を追った。 「では、離婚はされますか?」

凪のあの芝居がかった顔が脳裏をよぎり、浩司は不快に眉を寄せた。

「離……」

凪は奏の家で日が暮れるまで過ごした。

奏は繰り返し伸一を罵り、 同時に凪が報復されるのではないかと本気で心配した。

凪は、しかし、まったく怯えていなかった。

「ねえ、あんたの旦那さんに助けてもらったらどう。 一応、あんたは彼の奥さんなんだから、伸一を懲らしめてもらいなさいよ」

凪は浩司を思い浮かべ、やはり少しだけ身がすくむのを感じた。

あの男は、邪悪だ。

「私が本気で彼を夫だと思ってるように見える?」

「じゃあ、どうするのよ。 いっそ、私のところに来て一緒に住めばいいじゃない」

「彼は私に手出しできないわ」

凪が、自分の身は自分で守ると何度も約束したため、奏はしぶしぶ彼女を家に帰した。

帰宅したのは、父親が継母と再婚する前に凪のために買ってくれた2LDKのマンション。 広くはないが、一人で暮らすには十分すぎる城だった。

シャワーを浴びてソファに横になり、動画を見ていると、画面に見知らぬ番号が浮かび上がった。

凪は数秒間それを見つめ、やがて電話に出た。

「どちら様ですか?」

「明日午前八時、役所で離婚だ」

凪はその声に聞き覚えがあり、画面の番号をもう一度確認した。

(どうして私の番号を?)というのが凪の最初の反応だった。

しかし、彼のような人間にとって、自分の番号を調べることなど造作もないことだろうと思い直す。

本当に、執念深い男だ。

凪はソファの上であぐらをかいて座り直すと、口角を上げて甘い声を作った。 「私は一生添い遂げるつもりで結婚しましたから。 結婚した以上、離婚はいたしません」

「離婚しないというなら、未亡人になる日を待つと?」

「……」

その言葉に、凪はさすがに胸に刺さるものを感じた。

最初は確かにそう考えていたが、当事者の口から直接突きつけられると、また感覚が違った。

「そんなことおっしゃらないでください。 今は医学も発達していますし、どんな病気でも治る可能性があります。 あなたが積極的に治療に協力して、前向きな気持ちを保てば、きっと良くなります」

彼女は本気でそう思っていた。

誰だって、こんな言葉は聞きたくないだろう。

浩司は、床まである窓の前に立っていた。 電話の向こうで、あの女が心のこもらない表情でいるのが目に浮かぶようだ。

「恥をかきたくなければ、 聞き分けよくしろ」 浩司は女に釘を刺す。

凪は、彼がこの結婚を受け入れる気がないのだと悟っていた。

お互い馬鹿ではない。 自分が本気なのか、それとも嘘なのか、彼にわからないはずがない。

「この件に関しては、承服いたしかねます。 ただし、ご両親にお話しになって、もしお二人が同意されたら、その時は従います」

結婚には衝動的な部分もあったが、誰と結婚しても、結果は同じだったかもしれない。

彼との結婚は、ある意味でより単純だった。

浩司は、わずかに目を細めた。

賢い女だ。

彼の両親は、この結婚を大喜びしている。 同意するはずがない。

浩司は、その計算高さにますます嫌悪感を募らせた。

「俺に逆らう方が、簡単だとでも?」

低く響く声には、彼の不機嫌さが滲み出ていた。 凪は、やはり彼のことが少し怖い。

「もう遅いですし、お体も優れませんから、早くお休みになってください。 考えがまとまったら、あるいはご両親を説得できたら、また連絡を」

凪は 「おやすみなさい」

と一方的に告げ、 返事も待たずに通話を断ち切った。

スマートフォンを置き、大きく息を吐く。

画面に表示された番号を見つめ、凪はやはり名前を登録した。

「青木 浩司」

スマホを置くと、浩司の青白い整った顔が脳裏に浮かぶ。

彼は今頃、きっと激怒していることだろう。

とにかく、できるだけ彼を避け、会う回数を減らすに限る。

しかし翌日、青木夫人が人をよこして、本邸に凪を迎えに来させたのだった。

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