空に生きる の小説カバー

空に生きる

9.2 / 10.0
人は生きていく中で、自分自身の意志や努力だけでは決して制御することのできない「才能」という残酷な壁に直面することがあります。持って生まれた資質が人生の行方を左右し、時には残酷な格差を突きつける現実に、私たちはどのように向き合うべきなのでしょうか。本作は、そんなままならない運命に翻弄されながらも、懸命に歩み続ける人々の姿を静かに描き出します。物語の核となるのは、予期せぬタイミングで訪れる他者との「出会い」です。孤独な魂が誰かと巡り会い、心を通わせることで、それまで固執していた価値観や閉ざされた世界が少しずつ、しかし確実に塗り替えられていきます。自分一人では変えられなかった景色が、他者という鏡を通すことで新しい色彩を帯び始め、停滞していた人生が再び動き出す瞬間。才能という抗えない力に対する葛藤と、人との繋がりがもたらす再起の可能性をテーマに、変化し続ける人生の機微を繊細な筆致で綴る現代ドラマです。出会いが導く再生の軌跡を、ぜひその目で見届けてください。

空に生きる 第1章

灼熱の日差しが照りつける夏空。

カフェの磨かれた窓ガラスを突き抜けて僕に光がぎらつく。

店内は冷房を強めに効かせていたが、真昼間の太陽には敵わないといった感じだ。

暑い、暑いと汗が頬に流れ絡むみつき、先ほどから緊張気味だった僕の心拍数を更に上げた。

 テーブルにはホットコーヒーと手帳。

白いコーヒーカップの取っ手を掴みながら、僕は、

(なんでホットなんて頼んだんだろ。)と後悔した。

サイフォンで淹れたコーヒーは冷やさずにそのまま飲みたい、

僕の変なこだわりは夏の暑さには堪えかねた…。

 ここのカフェを僕は気に入っている。

ワンコインと少しの値段で店主こだわりのコーヒーが飲める。

お財布にも優しい割りに、ほんの少しセレブのような優雅な気分が味わえる。

それでいて店内も洒落過ぎず、シンプルに落ち着いた様相で、仕事をするのにも集中できるのだ。

 僕はスプーンを右手でつかみ、左手でコーヒーカップを押さえてそうっとスプーン

でかき混ぜた。

少しでも冷めるように…なんて、要領が悪いことをしたものだ。

スプーンでかき回している時もドクッとドクと心臓が脈打つ。

暑さのせい、にしたって震え過ぎだ。

そうして額の汗から目を守るように目細め店内の入り口を見た。

 腕時計の短針は12を、長針は6を指していた。

(12時半…)

カランカランと乾いたベルの音がした。

扉は開き、カジュアルなTシャツと7分丈パンツの男性が入店した。

 「やあ!」

 男性はさわやかに右手を挙げて挨拶をした。

僕はふぅっとため息が漏れた。

僕は、僕は…彼を待っていた。

彼は滑り込むように僕の向かいの席に座った

 「どうした、こんな暑い日にホットコーヒーなんか持っちゃって。」

 「僕、そんなに変?」

 ビクリとした僕は慌てて答えた。

彼はニヤリと笑った。

 「顔が上気してる。」

彼の艶っぽささえ感じるたくましい指―人差し指が、僕の顔を指した。

カップとスプーンに添えたままの僕の手は、ガタガタと震え滑らせて膝の上へ返した。

そして僕は頭をぶるぶると振るった。

 「ハハハ!」

 彼はそんな僕がおかしかったのか陽気に笑い飛ばした。

僕はこれ以上笑われるのが堪らないという気分で彼に許しを乞うように見つめた。

 彼はそれを理解したのように表情を真面目腐った顔に戻し

 「以前は仕事の依頼、ありがとう。」

 と言った。

 「いえ、こちらの方こそ。いい作品になったよ。お陰様で。」

 彼は座ったまま僕に軽く会釈をし、顔を上げる時に目がキラリと光った。

 「こうみえて、僕、仕事が少ないんだよね。

  僕の絵、こだわり過ぎててさ。

  僕が気に入ったブランドの挿絵しかしたくないんだよね。

  普遍的に蔓延することで人気や人望って得るものだけどさ、

  僕はどうしても自分の絵を安売りしたくない。

  イメージに合うものしか仕事したくないんだよね。」

 そう言う彼の仕事は、イラストレーター。

フリーランスで仕事してる。昔は大手の企業で働いてたらしいが1年と経たず辞めたそうだ。理由は今の言葉通りなんだろう。

彼が手掛けた製品といえば、オーガニックで環境保護活動にも寄与している高級化粧品ブランドのパッケージデザイン、が主かな。

あとはフェアトレードの食品のパッケージ。

人にも地球環境にも優しいブランドものしかイラストを提供したくない、というのが彼のモットーだ。

いい心意気だ。だけどそう仕事も多くないだろう…。

 「成田さん(―僕の名前)、

  一昨年、昨年と続けざまに小説、ベストセラーおめでとう!

  そんなに売れるなら、

  一昨年の『神は僕と彼女の琴線に触れる』の挿絵とジャケットのイラストも

  僕が描けば良かったかなぁ。」

 「ハハ。」

 そう、僕の職業は小説家。

僕は心にもないことを言うと彼を面白く思った。

 「いやぁ、ホントさ。

  生きていくには大金も必要だからね。

  僕の為に?書き下ろしてくれた昨年の次作『生きるという本能と幻相』は、

  内容もまあ僕の理想に不適合ではなかったんだから。

  同じ作者の作品として

  『神は僕と彼女の琴線に触れる』も描いとけば良かったなぁ。

  まぁ、君の熱烈な要請を断るのも気が引けたっていうのも本音だったけどね。

  でも、この作品もベストセラーになってしまうんだからね。

  一昨年のヒットまで成田さんは無名の作家だったよね。」

 そんな彼に初めて仕事を依頼したのは一昨年の正月明け。

子どもの姿から成長できない謎の妖精、小夜サヨと普遍的な人生を送っていた少年、春樹との出会いと交流を描いた小説の、挿絵と表紙デザインを依頼した。

彼とは今日と同じカフェで初めて会い、そして彼はその場で原稿をさっと読みほした。

 読みながら眉間に皺をよせていく彼は一言、

 「違う。」

 と言った。

 失礼にも感じるぶっきらぼうな彼は淡々と、

 「僕のイラストは抒情的な作品の為には描けない。

  社会的なモラルや地球の保護、

  そうしたことを趣旨としたものにしか絵は売れない。」

 当時、売れない作家だった僕にとっては冷や水のような言葉だったが、そんなこだわりをもって自分の才能を売る彼に感銘を受け、ますます彼の絵が気に入った。

 彼のイラストが入ったフェアトレードチョコレートを初めて購入して仕事机に置いた時、僕は何とも言えずに地球、延ひいては宇宙にまで優しくなったような気持ちになった。そして宇宙と一体になったようで自分の存在意義を感じるような気がした。

僕の小説にも彼のデザインが施されたら、世界中に必要とされるような、宇宙万物すべてに受け入れてもらえるようなそんな幻想を抱いてしまった。

そして彼のデザインのフェアトレードの食品や、男のくせに女性もののオーガニックな高級化粧品までも洗面台に並べた。

 「僕は、如月きさらぎさんのイラストデザインが好きです。

  今回の作品はこの内容を変えることはできませんが、

  絶対に如月さんが描きたいと思える小説を書きます。」

 そう言って一昨年の1月の彼との会談は終わった。

 そしてその1年後の春に、『生きるという本能と現相』という小説を書き上げ再び彼に仕事を依頼した。

彼の目が僕の文章に釘付けになり、神妙な表情に変わってく…。あの日の僕の心の高揚を今でもありありと覚えている。

 「…それで…したんだ?」

 僕は彼の声にはっと我に戻った。

 「成田さん?どうしたんだ?本当、今日ぼーっとしてるぞ。

  いつもも覚束おぼつかない感じだけどさ。

  それにしたって変だよ。」

 「いや、ただ如月さんに初めて出会って、作品を読んでもらって、

  そして初めて仕事の依頼を受けてくれた日を思い出したんだ。」

 「うそだろ?

  それだけで最初っから真夏に熱いコーヒーなんてかき混ぜて

  顔を赤くして待ってたのかよ。」

 僕はうっとした…。

 「違うんでしょ。今回の仕事には深い理由があるんだろ。」

 彼は鋭いまなざしを一瞬向け、そして優しく瞬きをして包み込むような表情で僕を見た。

 僕は俯うついた。そしてこげ茶の皮バッグの中から少し厚みのある洋封筒を取り出した。

薄緑色の封筒は丁寧にしまっていたが、何度も手で触れていたので少し皺があった。

宛名には僕―成田の所属する出版社の私書箱へ僕宛に書かれていた。

どうも、“ファンレターのよう”だった。

裏返して封筒を開ける手は、もう何度目かというほど慣れていたが、でも動揺していて指先が震えた。

下の方の差出人の名前も宛名に劣らずはっきりと端麗な字で書かれていた。

“田河たがわ 実みのる” 

差出人は男性だった。

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