
私は彼の完璧な代用品
章 2
奈津穂 (ナツホ) POV:
浩二の声が私の耳元で囁かれた瞬間, 全身の毛穴が逆立った. 吐き気がするほど嫌悪感が込み上げてきた. 私は身動き一つせず, まるで死んだふりをしているかのように呼吸を止めた.
「奈津穂? 」
浩二は私に触れようとしたが, 私は素早く身をかわした. 彼は少し驚いたようだった.
「藤野さん」
私の声は, 想像以上に冷たく響いた. 浩二の顔が, わずかに引きつった. 彼は, 私が彼を下の名前ではなく, 苗字で呼んだことに気づいたようだった.
「…どうしたんだい, 奈津穂? 」
彼の声には, 僅かな戸惑いと, いつもの甘ったるい調子が混じっていた. 私は彼を見つめ, 心を決めた.
「話があるの」
私の言葉に, 浩二は顔を顰めた.
「そんなかしこまって. いつも通りに話せばいいじゃないか」
彼はそう言って, 私の腕を掴もうとした. 私は咄嗟に身を引いた. その瞬間, 彼の首筋に赤いキスマークが目に飛び込んできた. 私の心臓が, 冷たい氷で締め付けられたようだった.
浩二は, 聖子さんのことを忘れられないからと, 私に「他の人とは絶対に肌を晒さない」という約束をさせていた. 彼の体には, 私以外の女の痕跡が残っていたのだ.
「…大丈夫だよ, 奈津穂. 今夜は僕が癒してあげる」
浩二は私の手を掴み, 指先で私の手の甲をゆっくりと撫でた. 私はその行為に, 全身の毛が逆立つほどの嫌悪感を覚えた. 彼の言葉は, まるで腐った蜜のように甘く, しかし私には毒でしかなかった.
私の心は完全に凍りついていた. 彼は, 私という人間を, 感情を持たない人形のように扱っていた. その事実に, 私の胃の底から熱いものが込み上げてきた.
「…触らないで」
私の声は, 震えていた. しかし, その震えは恐怖からではなく, 怒りから来るものだった.
浩二は私の言葉に驚いた表情を見せた. 彼は私の腕を掴んだまま, じっと私の顔を見つめた.
「…どうしたんだい? 奈津穂」
彼は私の怪我した右腕に目をやった. 包帯でぐるぐる巻きになった私の腕は, 一見して重症だとわかるはずだった.
「痛いんでしょ? 僕が癒してあげるから」
浩二は私の腕に触れようとした. 私の全身を激痛が貫いた. 私は反射的に彼の手を振り払った.
「っ! 」
私は痛みに声を上げ, 涙が止まらなくなった. しかし, その涙は悲しみからではなく, 怒りと屈辱から来るものだった.
「…触らないでって言ったはずよ」
私は震える声で, もう一度言った. 浩二は私の顔を見て, 驚きを隠せないようだった.
「奈津穂, どうしたんだい? そんなに怒って…」
彼は慌てたように私の顔を覗き込んだ. 私は彼の眉間に皺が寄っているのを見て, 心の中で嘲笑した. 彼の「心配」は, いつも自分本位だった.
「…腕, 折れてるの」
私は簡潔に答えた. 浩二は私の腕を見て, 初めて怪我の重さに気づいたようだった. 彼の顔から血の気が引いた.
「なに…バカなこと言ってるんだ, 奈津穂. そんなはずないだろう? 」
彼は焦ったように, 私の腕をもう一度確認しようとした. 私が彼を突き飛ばしたにもかかわらず, 彼はそのことには一切触れなかった.
「僕が怪我させたのかい? 」
彼の声は, まるで自分が被害者であるかのように響いた. 私は彼の言葉に, 心の中で冷たい笑みを浮かべた. 彼はいつもそうだ. 自分の非を認めず, 相手に責任を押し付ける.
私は何も答えなかった. 沈黙だけが, この部屋を支配していた.
「…大丈夫かい? 奈津穂. 何か欲しいものはないかい? 」
浩二は私の涙を拭い, キッチンへ水を汲みに行った. 彼の背中を見ながら, 私は吐き気がした. あのキスマーク. 私には肌を晒すなと命令しておきながら, 自分は平気で裏切る. 彼の愛は, まるで偽物の宝石だ. キラキラと輝いているように見えて, 実はただのガラス玉だった.
浩二が水を汲んでいる間, 彼の携帯が隣のテーブルで光った. 小夜子の名前が表示されていた.
「奈津穂, 水だよ」
浩二が戻ってきた. 私は彼から水を受け取り, 一口飲んだ. 彼の顔は, まるで何もなかったかのように優しく微笑んでいた.
「…今日のパーティー, 小夜子が大変だったろ? 」
彼は私の手を握り, そう言った. 私は彼の言葉に, 心の中で冷たい笑みを浮かべた. 彼はいつも, 自分のことしか考えていない.
「…友達と連絡取ってこなきゃ」
浩二はそう言って, 私から離れていった. 私は, 彼の「友達」という言葉に, 深い嫌悪感を覚えた.
私は彼の出て行った方向を見つめ, 再び彼のノートパソコンを開いた. 彼のSNSアカウントにログインしたままだった. 私は, 小夜子の最新の投稿を見つけた. そこには, 浩二が私にプレゼントしてくれた服を着た小夜子が, 花畑で微笑む写真があった. キャプションには「最終的な選択」と書かれていた. そして, 写真の隅には, 浩二の影がはっきりと写っていた.
私の心臓が, まるで誰かに握りつぶされたかのように痛んだ.
私は, 浩二が私を代用品として使っていたことを, この目で見てしまった. 私の涙は, もう枯れ果てていた. 私は, ただ, 無感情な目で画面を見つめた.
私は携帯を閉じ, 布団に潜り込んだ. 全身が鉛のように重かった. 全てから逃れたかった. 私はただ, 眠りたかった.
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