フォローする
共有
離婚します、理由はミルクティー の小説カバー

離婚します、理由はミルクティー

大学教授である夫は、口数は少ないものの誠実で穏やかな人物だ。ある日、彼を迎えに行く途中で喉の渇きを覚えた私は、ミルクティーを買ってきてほしいと頼んだ。しかし、夫が差し出したのは「氷なし・甘さ控えめ」の一杯だった。それを見た瞬間、私は一口もつけることなく研究室のゴミ箱へ投げ捨て、「離婚しましょう」と告げた。あまりに突然の拒絶に、夫は呆然と立ち尽くす。その場に居合わせた新入りの博士課程の学生が、飲み物一つでそこまで怒らなくてもいいはずだと慌てて仲裁に入り、夫もまた「気に入らないなら買い直せばいいだろう」と困惑しながら眉をひそめた。だが、私の決意は揺るがない。なぜこれほどまでに心が冷め切ってしまったのか、その理由は夫には理解できないようだった。私は彼に背を向け、明日には離婚届を持ってくると言い残して研究室を後にした。些細なミルクティーの注文が、長年積み重なってきた夫婦の決定的な亀裂を浮き彫りにした瞬間だった。
共有

2

骨身に沁みる寒さだ。

けれど、家を出る前に夫の沈南から投げつけられた言葉ほど、胸に突き刺さるものはなかった。

「あいつが何度も理由をつけて癇癪を起すのは、結局あれやこれや買って俺に機嫌を取ってほしいだけなんだ。 今回は、先週欲しがっていたヴィトンのバッグが目当てだろう」

「こっちは実験研究でくたくたなのに、無理に笑顔を作って機嫌を取らなきゃいけない」

「年年、妻が君の半分でも物分かりが良かったらなあ」

これまで彼が見せてきた謝罪や譲歩は、すべて私が無理強いしたもので、本心ではなかったのだ。

けれど、疲れているのは彼だけだろうか?

一体、私は何に怒っていたのだろう。

私の誕生日に、彼は「学生が待っている」の一言で、レストランに私を一人置き去りにした。

結婚記念日には、何の説明もなく朝帰りした。

私が四十度の熱を出した夜、彼の電話は何度かけても話し中だった。

これが、「物分かりが悪い」ということらしい。

ふらふらとホテルにチェックインすると、スマホに一件の友達申請が届いた。

アイコンは、研究室の林年年が、満面の笑みで沈南を指で囲っている写真だった。

【奥さん、沈先生が酔っていて、ずっと奥さんの名前を呼んでいます。ビデオ通話に出てもらえませんか?】

長年愛した人だ。どうしても非情にはなれなかった。

私は通話ボタンを押した。

画面の向こうで、意識が朦朧とした沈南が繰り返し呟いていた。

「年年、行かないでくれ。ここにいてくれ」

頭から冷水を浴びせられたような衝撃が、全身を凍らせた。 沈南は私のことを「年年」とは呼ばない。いつも「江佳年」か、「佳年」と呼ぶ。

ならば、この「年年」は――今夜、彼が必死に引き留めようとしている、林年年のことだ。

私は一言も発せず、震える手で通話を切った。

頭の中が、ブーンという音で満たされる。

その夜は両膝を抱えたまま一睡もできず、朝を迎えた。

離婚協議書を手に入れると、私は一秒も無駄にせず家へと向かった。

玄関を開けると、卵の香ばしい匂いが漂ってくる。キッチンでは、沈南が不器用な手つきで二つの皿に朝食を盛り付けていた。

結婚して七年、彼がキッチンに立ったことなど一度もなかった。それに、私が卵アレルギーであることも知っているはずだ。

この二皿の朝食は、彼と林年年のためのものに違いなかった。

案の定、主寝室から林年年が眠そうな目をこすりながら出てきた。

彼女が着ていたのは沈南のTシャツで、下着はつけていないようだ。私に気づくと、彼女は殊勝な顔で言った。

「奥様、お帰りなさい!昨日は急に泊まることになったので着替えがなくて……沈先生が服を貸してくれたんです。お気になさらないでくださいね?」

沈南はばつが悪そうに頭を掻きながら、謝罪の言葉を口にした。

「君が今帰ってくるとは思わなくて。卵なしの朝食をもう一つ作るよ。次からは、帰る前に連絡をくれると助かる」

私はこみ上げる怒りを必死に押し殺し、彼を問い詰めた。

「私が自分の家に帰るのに、いちいちあなたの許可が必要だとでも?」

「連絡をすれば、あなたたちが昨夜の痕跡を片付ける時間ができるものね」

「私が見て見ぬふりをすれば、二人が清廉潔白なままでいられるとでも思っているの?」

その言葉に、彼は再び激高した。

「何を馬鹿なことを言っているんだ! 噂が広まったら年年の評判にどれだけ傷がつくか、お前は責任を取れるのか!」

「昨夜は年年が徹夜で俺を看病してくれたんだ。その礼に朝食を作っただけなのに、感謝するどころか人を貶めるのか!」

昨夜のビデオ通話での彼の言葉は、アルコールのせいではなかった。今回も、すべては林年年のため。

かつては、私に大声を出すことすらなかった人なのに。

涙が、意思に反して頬を伝った。

それを見た彼は途端に慌てふためき、私の涙を拭おうと手を伸ばす。

「すまない、佳年。怒鳴るつもりはなかったんだ。ただ、君の言い方があまりにひどかったから、ついカッとなってしまって」

「そうだ、ヴィトンのバッグを買ってあげよう。ずっと欲しがっていただろう? だから、許してくれ」

(また、心にもない譲歩をするの?)

私は彼の手を振り払い、自分の名前を署名した離婚協議書をテーブルの上に置いた。

「サインして」

おすすめの作品

離婚したら、元夫の宿敵と婚約しました の小説カバー
8.2
長年連れ添った夫・篠原隼人に離婚届を突きつけた橘乃愛は、その足で元夫の宿敵である男性との婚約を発表する。甘え上手な年下男子である新たなパートナーと仲睦まじい姿を見せつける一方で、自分を貶めてきた悪女には容赦ない報復を、そして未練を覗かせる元夫には徹底した拒絶を突きつけていく。物語が進むにつれ、乃愛が隠し持っていた驚愕の素顔が次々と露呈していく。世界的なピアニスト、伝説的デザイナー「Elan」、さらには天才投資家としての顔……。彼女がひた隠しにしてきた圧倒的な才能と正体を知り、隼人は必死に彼女を追い始めるが、すでにその手は届かない場所にあった。しかし、彼女の背後にはまだ、誰もが畏怖する真の「秘密」が隠されている。そのあまりに巨大な真実の全貌が明かされたとき、かつて彼女を軽んじた隼人は、逃れようのない絶望の淵へと叩き落とされることになる。華麗なる転身を遂げたヒロインが、偽りの仮面を脱ぎ捨てて真の自分を取り戻していく、愛執と復讐が絡み合うミステリアスな現代ロマンス。
契約妻は捨てられた の小説カバー
9.5
実家の会社を倒産の危機から救うため、私はある条件を飲みました。それは、心を閉ざした建築家の夫と彼の幼い息子を支える「契約妻」としての五年間の生活。愛のない結婚だと分かっていても、私は家族として彼らに献身的な愛を注ぎ続けてきました。しかし、夫の心にはかつて彼を捨てた元恋人の影が常にあり、彼女の帰還によって私の居場所は無慈悲に奪われてしまいます。実の子のように育てた息子からは拒絶され、夫からは家政婦同然の扱いを受ける日々。決定的な絶望が訪れたのは、ある事故の瞬間でした。暴走する車を前に、夫が迷わず守ったのは元恋人と息子だけで、私はその場に置き去りにされたのです。地面に倒れ、遠ざかる三人の背中を見つめながら、私の五年間に及ぶ献身が無価値だったことを痛感しました。契約終了の書類に署名をし、私は静かに決意します。これまでの情愛をすべて捨て、二度と彼らの人生に関わることはないと。捨てられた契約妻の、新たな人生への歩みがここから始まります。
離婚届と黒いグローブ の小説カバー
9.3
結婚七周年を迎えた記念すべき日、子作りに対する価値観の相違から陸原湊と激しい口論になり、二人の仲に亀裂が入った。その直後、彼の幼なじみがSNSに投稿した写真には、サーキットで親密に微笑み合う湊と彼女の姿があった。周囲も二人を公認のカップルのように扱う。この七年間、危険だからという理由で一度もレース場に招かれなかった自分とは対照的に、彼の傍らには常に彼女がいたのだ。かつては優しかった湊の言葉も、今では義務的な拒絶にしか聞こえない。彼が本当に大切に想っていたのは私ではなく彼女だったのだと悟り、私は結婚指輪を外して湊に離婚を突きつけた。悲しみに暮れる暇はない。私は長年封印していたガラスケースの中の黒いグローブを再び手に取る。時速三百キロの世界を危険だと決めつけ、私を遠ざけた彼への答えは、ハンドルを握るこの手で証明する。愛を捨て去った元妻が、かつての情熱を取り戻して再起する物語。
偽令嬢?いいえ、私が世界のルールですが何か。 の小説カバー
8.9
江川朱里は20年間、名家の一員として育てられてきたが、実の娘が帰還したことで「偽物の令嬢」として家を追われてしまう。婚約者からも冷酷な言葉で突き放され、すべてを失ったかに見えた彼女。しかし、朱里の正体は世界最高峰の権威を誇る伊藤家の真の令嬢だった。隠されていた彼女の多才な素顔が次々と露わになり、周囲を驚愕させていく。神業とも言える医術、天才的なハッキング能力、さらには世界的人気ブランドのデザイン権までをも掌握する彼女は、まさに世界のルールそのものだった。かつての家族が恩を盾に金を要求し、後悔に震える元婚約者が復縁を迫るも、朱里は冷徹に彼らを切り捨てる。そんな彼女の前に現れたのは、禁欲的で孤高のカリスマと恐れられる御曹司。誰もが跪く高貴な男は、朱里の魅力に抗えず、執着心にも似た深い愛を注ぐようになる。毒舌で冷静沈着な令嬢と、彼女を溺愛するあまり甘い誘惑を繰り返す御曹司。二人が織りなす、華麗なる逆転劇と究極のロマンスが今幕を開ける。
余命七日の夫が泣いてすがるとき の小説カバー
8.2
人生の幕が下りようとする最期の七日間、死を目前にした夫が口にしたのは、あまりにも残酷な「最後の願い」だった。彼にはどうしても拭い去れない後悔があり、過去の過ちを清算したいと切実に訴える。しかし、その望みとは長年連れ添った妻への愛ではなく、「本当に愛していたのは別の女性だった」という衝撃的な告白だった。これ以上自分に嘘をついて生きたくないと語る彼は、すべてを円満に終わらせるための解決策として、冷徹にも離婚届への署名を妻に求める。愛する家族を捨て、自らの感情を優先して身勝手な決別を選んだ夫。それから時が流れ、死の淵で激しく涙を流しながら、かつて捨てたはずの妻に対してなりふり構わず復縁を請い願う彼の姿があった。身勝手な裏切りと、死の間際に露呈したあまりにも遅すぎる未練。命の灯火が消えゆく限られた時間の中で、一度は壊れた夫婦の絆と、歪んだ愛の行方が静かに描き出される。最後の一瞬まで揺れ動く男の矜持と後悔が、切なくも残酷な物語を紡いでいく。
私の40年を、今日捨てます。 の小説カバー
9.6
還暦を迎えた誕生日の宴席。主役である私が挨拶を終えた瞬間、無愛想だった夫が突如として涙を流し始めました。その涙は息子夫婦や孫にまで連鎖し、一家全員が泣きながら私の方へと歩み寄ってきます。予期せぬ感動的な光景に戸惑いながらも、私は家族を迎え入れようと両手を広げました。しかし、夫たちは私に見向きもせず、その横を通り過ぎていったのです。夫が震える手で縋り付いたのは、私の背後にいた一人の女性でした。息子は彼女を「おばさま」と呼び、嫁や孫も再会を喜ぶあまり、私の存在など視界に入っていない様子です。この家のために尽くしてきた四十年間は何だったのか。帰還した「本命」の女性を前に、私の献身は無慈悲に打ち砕かれました。アルツハイマーで記憶が十八歳に戻ったという彼女が、不思議そうに私の正体を尋ねると、家族は一斉に私を敵視するような視線を向けます。そのあまりの豹変ぶりに、私は乾いた笑いを浮かべるしかありませんでした。長年守り続けてきた場所が、一瞬で他人のものへと変わったのです。私は、この家で過ごした歳月のすべてを捨てる決意を固めました。