
彼の嘘と愛に消された
章 3
天野亜利沙 POV:
「これは縫合が必要ですね」救急クリニックの医師は、優しい声で言った。「深い切り傷です。ほぼ間違いなく、傷跡が残るでしょう」
傷跡。尊が私に残したコレクションに、また一つ加わる。もっとも、他の傷は肌には見えないけれど。
何年も前、彼が研究ノートを整理するのを手伝っていて、紙で指を切った時のことを思い出した。ほんの小さな、かすり傷だったのに、彼は私が致命傷を負ったかのように大騒ぎした。消毒用ワイプで傷口を拭き、丁寧に絆創膏を貼り、私の指にキスをした。その目に宿る優しさは、私の心を愛しさで締め付けた。
あの男はもういない。あるいは、最初から存在しなかったのかもしれない。終わったのだ。そのことだけが、ついに、取り返しがつかないほど明確になった。
携帯が彼からのメールで震えた。
尊:事故にあったって聞いたよ。手は大丈夫?医療費は秘書に処理させるように頼んである。何か必要なら彼女に言って。
彼は心配さえもアウトソーシングする。もはや自分でそのふりをすることさえ面倒なのだ。
私:大丈夫。あなたの助けは要らない。
私は貯金の残りで自分で支払いを済ませ、タクシーで家に戻った。家の中の静寂は物理的な存在感を持ち、四方から私に圧し掛かってきた。鎮痛剤を2錠飲み、ソファの上で浅く、夢も見ない眠りに落ちた。
数時間後、はっと目を覚ました。玄関のドアが開く。尊が帰ってきたのだ。午前3時近かった。彼は暗いリビングを通り抜け、床から天井まである窓から差し込む月明かりにシルエットが浮かび上がった。彼はほのかに高価な香水の匂いがした――玲奈の香水――そして、ウィスキーの匂いも。
彼はソファの上の私に気づき、動きを止めた。彼はやって来て私の隣にひざまずき、手を伸ばして私の髪を撫でた。「亜利沙」彼はつぶやいた。その声は眠気とアルコールでかすれていた。彼は身を乗り出し、唇が私の唇に触れた。
私は身をすくめた。縫合された手から、腕に鋭い痛みが走った。「やめて」私は囁いた。その言葉はかろうじて聞こえるほどだった。
彼は身を引き、困惑して眉をひそめた。薄明かりの中で、彼の目に驚きの色が浮かんでいるのが見えた。まるで私の拒絶が理解できないかのように。私は今まで一度も彼を拒絶したことがなかった。
「ごめん」彼は言った。声が少しはっきりした。彼はため息をつき、完璧にセットされた髪を手でかき上げた。「とんでもない夜だった。ホテルでのことは悪かった。あれは…複雑だったんだ」
彼はその時、私を見た。その視線は、私がよく知る、練習された誠実さに和らいだ。「君が僕にとって唯一の存在だってこと、分かってるだろ?君はいつだってデイ夫人だ。僕の唯一の妻だ」
僕の唯一の妻。その称号は冗談のように感じられた。残酷で、哀れな冗談。私は屋根裏に隠された妻、消えるためにお金を払われている妻なのだ。
彼は私の沈黙を承諾と受け取ったようだった。彼は立ち上がり、伸びをした。「今夜は書斎で寝るよ。君を起こしたくないから」
彼は廊下の向こうに消え、手の疼きと胸の空虚さと共に、私を一人残していった。
後になって、手のひらの痛みが再び私を目覚めさせた。鎮痛剤を求めてキッチンへそっと向かった。書斎を通り過ぎる時、彼の低い声が聞こえた。彼は電話中だった。私はドアに耳を押し当てた。心臓が冷たく、重い石のように胸の中にあった。
「ああ、書類はサイン済みだ」彼は言っていた。その声は今やはっきりとしてプロフェッショナルで、眠気もアルコールも消え去っていた。「浜田が原本を持っている。明日の朝、取締役会に僕の婚姻状況を『離婚済み』と公式に発表できる」
間があった。電話の向こうの相手、おそらく玲奈が、何か質問しているのが想像できた。
「ああ、僕も驚いたよ、彼女があんなにすんなり同意するなんて」尊は続けた。その口調には、独りよがりな満足感が滲んでいた。「彼女はいつも…感情的だからな。でも、これが最善だってことを、ようやく理解したんだと思う。僕が思っていたより、物分かりがいい」
物分かりがいい。彼は私が物分かりがいいと思っていた。私がただ諦めただけだとは、夢にも思っていない。
「心配するな、ダーリン」彼は言った。その声は、かつては私だけに向けられていた、あの親密で、愛撫するようなトーンに変わった。「すべて順調だ。IPOは一ヶ月後。その日、全世界の前で、僕は片膝をついて、君に僕の妻になってくれと頼む」
彼は彼女に私のプロポーズを捧げようとしていた。彼が私に約束したものを。
「ああ、分かってる。僕も愛してるよ」また間があった。彼の次の言葉は、より冷たく、鋭く、私の血の気を引かせるほどの毒を含んでいた。
「彼女?いや、もう問題は起こらないさ。正直言って、玲奈、分かってくれ…僕が彼女と過ごした、貧困から這い上がるための年月…あれは人生じゃなかった。悪夢だったんだ。一刻も早く、永久に閉じたい、恥ずべき章だよ」
私の体は制御不能に震え始めた。喉の奥から、嗚咽と悲鳴の間の、低く、獣のような音が漏れた。私は無事な方の手で口を覆い、その音を押し殺すために指の関節を噛んだ。
悪夢。
私の犠牲、私の愛、私の青春のすべて…それはすべて、彼が目覚めるのを待ちきれない、恥ずべき悪夢に過ぎなかった。
涙が顔を伝って、熱く、静かに流れた。手の痛みなど、何でもなかった。鈍く、遠い疼き。本当の傷は私の魂にあった。かつて私の心臓があった場所に、広大で、黒い穴が開いていた。
私はドアからよろめきながら後ずさりし、視界がぼやけた。甲高く、ヒステリックな笑いが喉の奥から這い上がってきた。
彼は正しかった。これは悪夢だった。そして私は、ついに、ついに目を覚ましたのだ。
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