
追い出された果てに、億の愛が始まる
章 2
水野玉恵はバックパックに荷物を詰め込む手を止め、 目を丸くした。 「え?あの宝石のネックレス? 庄司様が 4000万円もかけて買ってくれたのよ? トップグレードの宝石が10個もついてるのよ! ちゃんとテーブルの上に置いたはずなのに、 なくなるなんてありえないでしょ? しっかり探したの?」
恩田寧寧は、もう陰謀の匂いを感じ取っていて、 水野玉恵と家政婦の芝居を面白がりながら眺めていた。
家政婦は顔面蒼白となり、 膝を震わせながら床に手をつくほど動揺していた。 「お嬢様、家中を隅々まで探しましたが、どうしても見つからなくて…… もしかしたらどこかに置き忘れたのか、それとも……」言葉を濁し、
一瞬だけ恩田寧寧を鋭く見た。 盗みを疑うような冷たい視線だった。
水野玉恵は恩田寧寧を一瞥し、鋭い声で家政婦を叱責した。 「何を見てるのよ!失礼な! お姉ちゃんの実家が貧しいからといって、盗みをするような人間だと思うの? それより、他に何かなくなっていないか?」
家政婦はさらに縮こまるように、 「それが…… お嬢様が先日作成された設計図が見当たらないんです……」
一瞬、恩田寧寧のバッグに目をやり、不審げな表情を浮かべると、 突然歩み寄って、ふと見えたチェーンを引っ張り出した。
水野玉恵は目を見開き、家政婦から受け取ったネックレスを固く握りしめ、唇を震わせながら言った。 「お姉ちゃん……これは庄司様から頂いた婚約の証よ!どうしてお姉ちゃんのバッグの中に……」
声がかすれ、今にも泣き出しそうな表情で恩田寧寧を見つめた。 「お金に困っているなら、お父さんに相談すればよかったのに。 これまで大切に育ててくれたんだから、きっと援助してくれたはず。 こんなことをするなんて…… 皆、傷つくでしょう……」
水野健夫と山下淑子も騒ぎを聞きつけて駆けつけた。 水野健夫は怒りに顔を歪め、水野玉恵以上に落胆していた。 眉間に深いしわを刻みながら、きつく叱りつけた。 「さっき金を渡そうとしたのに断ったくせに、妹の物を盗むなんて……金が必要なら正直に言えばいいじゃないか。 どうしてそんな卑劣な真似を……。 恥を知れ!」
山下淑子はさらに怒りをあらわにした。 「どうしてだって?金が少なかったからに決まってるでしょ! 欲しかったのはたった数万円の交通費じゃなく、 この4000万円のネックレスでしょ! 恩田家なんて、一家そろって一生かかっても稼げない大金よ!」
水野玉恵は胸に手を当て、涙ぐみながら山下淑子の腕を握った。 「お母さん、それ以上は…… お姉ちゃんが、本当に追い詰められてしまう。 きっとわざとじゃないよ、ただ……うっかり持ち出してしまっただけなの……」
水野健夫と山下淑子は嘲るように鼻を鳴らしたが、口には出さなかった。 しかし胸の内では、寧寧のことを幾度も罵っていた。「恩を仇で返す裏切り者め!」と。
水野玉恵は上品に微笑みを浮かべ、客席へ軽く会釈した。 だがその瞳の奥には、抑えきれないほどの喜びが煌めいていた。 ――これで恩田寧寧に「泥棒」のレッテルが貼られた。今後、海音市の上流社会での彼女の立場は決定的だ。 水野家のネットワークなど、これっぽっちも利用させはしない。
水野玉恵は涙ぐんだ目でネックレスを見つめ、「お姉ちゃん……私、本当は何でも譲りたいの。 でも、これは庄司様との大切な約束の品なの」と小さく呟いた。 ふと顔を上げ、「実は……お姉ちゃんこそ庄司様と結ばれるはずだったんのよね。 でも、気持ちが変わったの。私だって、どうしようもなかった……」と切なげに訴えかける。 「愛って、理屈じゃないでしょう? 私たち、本当に幸せなの。 お願い、お姉ちゃん、どうか……」と、声を震わせながら懇願する様子は、周囲の客の同情を誘った。 そして突然、自分の指輪を外し、「もし必要なら、私のものは何でもあげる。 これでも、これでも……」と、次々とアクセサリーを差し出していく。
水野玉恵の目から大粒の涙が零れ落ちた。あたかも深く傷ついたかのような様子に、
恩田寧寧は冷ややかに見つめながら、 「さすがだわ……あの涙のタイミング。 舞台に立っていたら、主演女優賞を取れる実力よ。
ここまで舞台を用意してくれたんだから、ちゃんと付き合わないと失礼よね?」と内心呟いた。
彼女はそのネックレスを一瞥した。 チェーン部分はまあまあだ。 少々太めだが、宝石とのバランスは取れている。しかし肝心の宝石が問題だ。 輝き、カット、カラーバランス――どれをとっても凡庸で、“トップグレード”と呼ぶには程遠い。
「こんな粗悪品、 私が盗むと思う? 屋根裏でチェックした時は何も入ってなかった。 あんたが持ってたのが、 いつの間にか私のバッグに転がり込んだんじゃないの?」
鼻で笑いながら言った。濡れ衣を着せようなんて、まっぴらごめんだ。
彼女は周囲を見回すと、バッグを地面に置き、中身をざっとあけくらした。 「ほら、見てみなよ。 私のバッグの中に水野家の物なんて他にある? もし何かあったら、今すぐ持っていって。 『泥棒』なんて汚名、被らせてもらうつもりはないからな。」
水野玉恵は地面に落ちていた青いファイルを拾い上げ、 わざとらしく目を見開いた。 「あら……これ、私が描いた設計図じゃない! どうしてお姉ちゃんのカバンの中に……」
そう言いながら拾い上げたファイル中の書類をパラパラと捲った。 機械設計図が何枚も挟まれているのを確認すると、 愕然とした表情で恩田寧寧を見据え、ファイルを振りかざすようにして言い放った。 「本当に信じられない…。お姉ちゃんが、こんなことをするなんて。 学歴もないくせに、私の設計図をどうするつもりだったの? 売り飛ばす気だったんでしょう……」
恩田寧寧はあからさまに白い目を向けた。 見るまでもない。 その設計図が、彼女が昨夜徹夜して描いた『原子力貨物船』のシステム部品の設計図だ、最も細かな数値まで、彼女の脳裏に焼き付いている。 ……いったいどういう経緯で、それが玉恵の“作品”になったというのか?
「ああ、そうだ。」恩田寧寧は思い当たった。 昨日、水野玉恵がダイニングの大きなテーブルで、大袈裟に設計図を広げていたことを。 「私には機械設計の才能が」とでも言わんばかりの様子で、ペンを走らせている姿を、 水野家の者たちは感心しながら眺めていたのだ。
「ふんっ」 水野玉恵は設計図を叩くように指さし、冷笑を浮かべた。 「盗んだなら潔く白状したら?まあ、家族の情けで警察には届けないでおいてあげるわ。」
山下淑子も設計図をのぞき込み、 怒り心頭の様子で怒鳴りつけた。 「こんな人間に育てた覚えはないよ! なんてことしてくれたんだい!」
恩田寧寧は心底呆れ返った。 彼女の設計図には、上部に『原子力貨物船動力システム部品』と―― もちろん外国語で――明記してあるというのに。
まさか三人も揃って読み方が分からないなんてね。
それに、図面の右下には彼女独自のセキュリティマークまで刻印されている。水野家がどんなに頑張ったところで、まねできるわけがない。
恩田寧寧は水野夫妻をじっと見据え、静かに語り始めた。 「おふたりも、私の実力について少しは分かっているはずでしょ。 十数年前、水野家は小さな自動車部品工場を守るのがやっとで、年収だってせいぜい1000万円。住んでいたのも狭いメゾネットだった。 それなのに、子供だった私に設計の才能があると分かると、 すぐに学校をやめさせて家に閉じ込め……次々と複雑な部品図面を描かせたよね?」
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