
追い出された果てに、億の愛が始まる
章 3
恩田寧寧は、目の前の図々しい一家を軽蔑のまなざしで見つめながら、周囲の人々に向かって語り続けた。 「ここ十数年、水野家は私の設計でぼろ儲けしてきた。自動車部品メーカーから自動車製造会社に成長し、上場まで果たした。 それが今や必要なくなると、今度は実の娘の設計図を私が盗んだとでっち上げるなんて……」 唇の端を吊り上げながら、寧寧は氷のように冷たい声で呟いた。「そうか……これが『愛情』ってものか?」
水野健夫の顔は赤くなり、怒鳴り声を上げた。 「バカなことを言うな! 小学校すら卒業していない癖に、 機械設計なんてできるわけがないだろうが!」
恩田寧寧は冷静に設計図を広げ、周囲の者たちに見せる。 「みんな、よく見て。 これは貨物船用原子力推進システムの設計図よ。 新エネルギー車部品などとは次元が違う。 そもそも他人の設計図など盗む必要が、私にあるとでも?」
今にして思えば、彼女は心底後悔していた。 あの頃、幼かった彼女は水野健夫に巧みに唆され、 大切な設計図の全てに、いつの間にか彼の名を記すようになっていたのだ。
どうやら水野健夫は、最初から仕組んでいたようだ。
恩田寧寧は設計図の一行を指差した。 「よく見て。 これは東和国の言語で、『原子力貨物船推進システム』って意味よ。」
彼女の指先が、設計図の右下隅にかすかな陰刻を指し示した。特定の角度で光を受けなければ視認できないほど精緻なマークだった。 「これが私のシグネチャーよ。」 寧寧は冷笑いながら、対照となる設計図をぱらりとめくる。「ではご覧ください、玉恵の『作品』を。 こんな稚拙な落書き、ゴミ処理場ですら受け取りを拒否するでしょう。」
そこへ、もう一人の家政婦が、同じデザインのファイルを手にやってきた。 「お嬢様……実はこの設計図の件ですが、 廃棄物と間違えて処分してしまいました……」
恩田寧寧が嗤いながら言った。 「聞いた? 家政婦さんですら、玉恵の設計図がゴミだって気づいてたみたいよ。」
水野玉恵の顔が烈火のごとく紅潮した。家政婦を鋭く睨みつけると、 ファイルを掴んでざっと目を通し、床にたたきつけるように投げ捨てた。 「違うってば! こんな粗雑な設計図、私が描くわけないでしょ!」
家政婦の太田さんは居たたまれなさそうに言い訳を添えた。 「そ、そんな……!玉恵お嬢様の設計図をゴミだなんて、とんでもないことでございます!老婆の目が曇り、貴重な図面を不用品と見誤りまして……誠に申し訳ございません。」
額に汗を浮かべながら、さらに深々と頭を垂れた。「私が悪くございました……けれど、玉恵お嬢様の作品を貶すつもりなど、毛頭ございませんでしたのに……」
すると今度は、実の娘を庇うように山下淑子が割って入った。 「あなた、何様のつもり? 自分の身分をわきまえなさい。 小学校すら出ていないくせに、原子力貨物船の推進システムだなんて…… 盗んだに決まってるじゃない! …言っておくけど、あなたみたいな恥さらし、 もう水野家の名を名乗らないでちょうだい。」
恩田寧寧は無言で両者の設計図を並べ、 ぱっと広げて見せつけるように示した。
水野健夫と山下淑子の顔は、見る間に怒りで歪んでいった。 特に水野健夫は、拳を固く握りしめ、今にも振り上げそうな形相で、 恩田寧寧を睨みつける。 「調子に乗るな!そんな才能、お前にあるはずがないだろう! 水野家がここまで来られたのは、俺とお前の兄貴が努力してきたからだ。 お前なんか一ミリも関係ない! この恩知らずが… 何年も育ててやった恩も忘れて…出て行け!」
山下淑子も怒りに我を忘れ、息を荒らげながら嘘八百を並べ立てた。 「何言ってんのよ。養い犬にでも餌代はかかるわよ! この十何年、あなたに数億円もかけてきのに、それに比べてあなたの貢献なんて!」
恩田寧寧の目には、氷のような冷たさが浮かんでいた。 彼女はもう言い返す気もなかった。 どうせすぐに、この水野家とは縁を切るのだ。こんな腐りきった家に未練はない。 「いいわ、 それならこれでおあいこってことで」
そう言って、恩田寧寧が床のノートパソコンに手を伸ばした刹那、
水野玉恵が素早く割り込むように 黒ずんだビジネスノートパソコンを奪い取った。 「まったく…どうしようもないわね。 お姉ちゃん、私がわざわざ引き際を作ってあげたのに、なんでそんな恩を仇で返すの? 私たちに汚名を着せるなんて…本当にがっかりよ。自分が悪いくせに、謝りもしないで逆ギレするなんて。 だったらもう、私も遠慮しないわ。 このパソコンの中にも、きっと水野家の機密データが入ってるんでしょ?こんなもの、持ち出させるわけにはいかないから。」
水野玉恵は客の手からグラスをさっと奪い取ると、冷ややかな笑みを浮かべながら、キーボードに水を注ぎ込んだ。
パンッ! 乾いた打撃音が響く。恩田寧寧の掌が水野玉恵の左頬を強く打ちつけた。 玉恵が呆然とする隙に、寧寧はノートPCを奪還すると、キーボードを逆さに振り、内部の水分を叩き出すようにした。
「殴ったの…!?私を…!?」 逆上した水野玉恵が手を振り上げ、報復の一撃を放とうとしたその瞬間 ——再び、恩田寧寧の平手が彼女の顔に飛んだ。
山下淑子が遅れ馳せながら乱入し、声を震わせて罵った。 「この…! 育ての恩も忘れて、我が子に手を上げるとは! 恥を知りなさい!」
これまで長年、山下淑子にとって恩田寧寧は言わば「人形遣いの人形」──気分次第で殴る蹴るの暴力をふるい、八つ当たりの的にしてきた。 だが今日初めて、その人形が糸を断ち、逆襲する刃となって立ち上がったのだ。
相手のあまりにも凶悪な形相に、山下淑子は一瞬ひるんだ。 半ばまで伸ばしかけていた手を、そっと引っ込める。
「お母さん、あの人、私を叩いたのよ…!」 水野玉恵は頬を押さえながら、訴えるように声を上げた。恨みのこもった目で恩田寧寧を睨みつけ、今にもやり返そうと拳を握りしめる。
山下淑子が慌てて駆け寄り、玉恵の顔を両手で包み込む。娘の頬には──恩田寧寧の指の形までが判別できるほどの、鮮明な掌痕が刻まれていた。
「玉恵…痛くない?可哀想に…」
その言葉に背中を押されるように、水野玉恵は怒りを爆発させた。冷たい視線を恩田寧寧に向け、彼女が床の物を拾っている隙を狙って、勢いよく脚を振り上げた。
恩田寧寧は視線の端で気配を察し、軽やかに身を引いて蹴りをかわした。 最後の品を拾い上げ、ゆっくりと立ち上がった彼女の目は、冷たい月光のようだった。 「…痛かった? 母さんが私を殴る時、頬が火照るのを、あなたは一度でも気にした? 骨が鳴る音を、数えようとしたことある? たった一度の仕返しで、やっと『痛み』がわかるんだね。」
山下淑子は一瞬だけ視線を逸らしたが、 すぐに開き直ったように言い放った。 「あんた、何勘違いしてんの? 育ててやったんだから、それなりの恩返しがあって当然でしょ?」
「ようやく、自分たちの“善行”を認める気になったのね?」 恩田寧寧が唇を歪ませ、水野家の者たちを一瞥する。リュックを片肩に放り投げるようにかけ、 ――振り向きもせず、扉を蹴破るように出て行った。
おすすめの作品





