
奇跡の命、地獄の愛の果て
章 3
広山真知子 (Machiko Hiroyama) POV:
意識が朦朧とする中で, 私は自分がまだ生きていることを皮肉に感じた. 目の前は真っ暗だが, 体中の激痛が, 私が地獄にいることを教えているようだった.
「ふん, これで広山社長の邪魔者はいなくなったわね」
辻村美唄さんの声が, 頭上で響いた. その声には, 一切の悔恨も, 罪悪感も感じられなかった.
むしろ, 達成感に満ちた, 嫌悪感を催す響きだった.
「この女を早く処理して. こんな汚い血で, ロビーを汚さないでほしいわ」
彼女の言葉は, 私の心を再び切り裂いた. 私は人間として扱われていない. まるで, ゴミのように.
「社長に言いつけてやる…」
私は, かすれた声で呟いた. 復讐の念が, 私の意識をなんとか繋ぎ止めているようだった.
「社長に? 笑わせないでくれる? 社長はあなたのことなんて, 金輪際忘れるわ. この会社に, あなたの居場所なんてないのよ」
辻村さんは, 私の頭を足で軽く蹴った. その行為に, 周囲の社員たちは誰一人として眉一つ動かさない.
彼らの目には, 好奇心や軽蔑だけでなく, 辻村さんへの畏怖の念が宿っていた.
私は, なんとか体を起こそうとした. 亮佑に連絡しなければ. 彼なら, この状況を, この不条理を, 必ず正してくれる.
「スマホ…」
私は震える手で, ポケットを探った.
しかし, その動きを, 辻村さんは見逃さなかった.
「何を探しているの? 誰かに助けを求めようとでも? 無駄よ」
彼女は私の手からスマホをひったくると, 何の躊躇もなく, それを床に叩きつけた.
パキッ, という鈍い音がして, 画面がバキバキに砕け散った.
「こんな安物のスマホで, 広山社長に連絡できるとでも思った? あなたの持っているもの全てが, 社長には相応しくないのよ」
彼女はそう言って, 私のスマホをゴミのように投げ捨てた.
私の心は, 完全に絶望に打ちひしがれた.
助けを呼ぶこともできない. 亮佑に連絡することもできない.
私はただ, この場所で, 彼らが私に何をしようとも, 抵抗することもできずに横たわっているだけだった.
「このストーカー女, 本当に社長の奥さんだとか言ってたな」
「ありえないだろ. 社長があんな地味な女と結婚するわけない」
「それに, お腹に子供がいるって? 社長が二ヶ月も海外出張してたのに? 浮気相手の子供を社長に押し付けようとしたんじゃないか? 」
周囲の社員たちの囁き声が, 私の耳に届いた. 彼らの言葉は, まるで毒の矢のように, 私の心を貫いた.
彼らは, 辻村さんの言葉を鵜呑みにし, 私を一方的に悪者だと決めつけていた.
「どうせ, 金目当てに決まってる. 社長の財力に目がくらんで, 手段を選ばない女だ」
彼らの視線が, 私をますます深く, 深い闇へと突き落としていった.
私は, 必死に頭を振った.
「違う…違うの…」
しかし, 私の声は, 誰にも届かない.
辻村さんは, 満足げに笑みを浮かべ, 再び私の前にかがみ込んだ.
その手には, 先ほどのハサミが握られていた.
「あなたのような女が, 広山社長の妻を名乗るなんて, 鳥肌が立つわ. その穢れた体から, 社長の影を消してあげる」
彼女の目は, 完全に狂気に染まっていた.
ハサミの冷たい刃先が, 私の頬に触れる.
「ひっ…! 」
私は, 恐怖で体が硬直した.
「やめて…何を…」
「何をって? そうね, まずはその汚らしい髪を切って, その顔も少し整えてあげましょうか」
彼女の言葉の裏には, さらなる暴力の予感があった.
私は必死に体をねじったが, 警備員たちが私を強く押さえつけ, 身動きが取れない.
「ねえ, あなたたちも手伝って. この女のせいで, 社長のイメージが損なわれるのは困るでしょう? 」
辻村さんは, 周囲の社員たちに呼びかけた.
彼らは一瞬, 躊躇したように見えたが, 辻村さんの冷たい視線に, すぐに顔を強張らせた.
「あの, 辻村秘書. これ以上は…」
一人の男性社員が, おずおずと口を開いた.
しかし, 辻村さんは彼を睨みつけた.
「何か文句でもあるの? 社長のために, この問題を解決するのは, 我々の務めでしょう? それとも, あなたはこのストーカー女の味方をするつもり? 」
彼女の言葉に, 男性社員は口を噤んだ.
そして, 他の何人かの社員が, 私の周りに集まってきた.
彼らの目には, 恐怖と, 保身が複雑に絡み合っていた.
「さあ, みんなでこの女を『清めて』あげましょう」
辻村さんの歪んだ声が, ロビーに響き渡った.
私の体は, 血でべとつき, 衣服は破れ, 痛みで感覚が麻痺し始めていた.
しかし, この屈辱だけは, 決して消えることはなかった.
彼らの顔が, 私の視界を覆っていく.
私は, もう, 何も見たくなかった.
「亮佑…」
心の中で, 愛する夫の名前を呼んだ.
その名前だけが, 私をこの地獄から救い出してくれる唯一の希望だった.
しかし, その希望も, 今, 目の前で, 彼らの冷たい視線と, 辻村さんの狂気に満ちた笑みによって, 踏みにじられようとしていた.
私は, もう, 終わりだと, そう思った.
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