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「さよなら」を告げたのは、あなたよ? の小説カバー

「さよなら」を告げたのは、あなたよ?

若く未熟だった津本薫は、かつて情熱のすべてを捧げた恋人がいた。しかし、彼との関係は愛とは程遠く、欲望に翻弄されるだけの日々。そんな折、彼の元に昔の恋人が戻ってきたことで、薫の居場所は完全に失われてしまう。冷え切った部屋と沈黙が続く夜の果て、彼女に手渡されたのは別れの言葉と一枚の小切手だった。「もう二度とお会いすることはありません」と冷徹に言い放ち、薫は涙を堪えて彼の前から姿を消した。それから数年の月日が流れ、二人は予期せぬ再会を果たす。しかし、かつて従順だった彼女の隣には、今は別の男性が寄り添っていた。その光景に激しい嫉妬を覚えた彼は、莫大な財産と婚約指輪を手に、再び彼女の心を奪おうと執拗に迫る。「他の男たちと同じ列に並ぶつもりはない。もう一度、君の隣に座らせてくれ」と。かつて自分を捨てた男からの身勝手な求愛。一度壊れた絆と、金に物を言わせた強引な執着が交錯する、大人の愛憎劇が幕を開ける。
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3

薫は、ふと動きを止めた。

手に持っていた紙袋を慌てて持ち上げながら言う。「鶴間先生の上着をお返しに来たんです」

尚輝はその手から袋を受け取ると、控えめに頷いた。

「わざわざどうも」 それだけ言うと、無駄な言葉は一切なく、そのままエレベーターに向かって歩き出した。

薫は焦って彼のあとを追いかけた。「鶴間先生、お願いがあるんです…!」

尚輝がエレベーターのボタンを押すと、すぐにドアが開く。薫は恥を忍んでその中へと滑り込んだ。

彼は彼女を横目でちらりと見やった。

そして鏡を見ながらシャツの襟を整え、淡々と言った。「君の案件は引き受けないよ」

薫の手足は冷たくなっていた。

――やっぱり、鶴間尚輝は津本家のことをもう知っている…!

恐る恐る、彼女は尋ねた。「各務将人が…先生に何か言ったんですか?」

尚輝は鏡越しに彼女と目を合わせ、ふっと薄く笑った。「彼に、そこまでの力はないよ。津本さん、僕はただ、公私をきっちり分ける主義なんだ」

その一言で、薫は彼の意図を悟った。――遊びなら歓迎。でも、仕事の話なら別だと。

思わず顔がこわばる。恥ずかしさと悔しさで、胸の奥がきゅっと締めつけられた。

だが尚輝は、それ以上何も強要してこなかった。

たとえ薫が、彼の好みに合う顔立ちであったとしても――それだけで尚輝が例外を認めるほど、甘くはない。 ましてや、真っ昼間から色気を出すような気分でもなかった。

そんな温度のないやり取りを交わしているうちに、エレベーターは静かに28階へと到着した。

ドアが開くと、鶴間の秘書がすでに出迎えていた。彼女は薫の姿を見て一瞬驚いたが、長年の訓練がその表情の乱れを許さない。穏やかな声で言う。「鶴間先生、群馬様がお見えです」

尚輝は無造作に紙袋を彼女へ放り投げると、ひと言だけ告げた。「クリーニングに出して」

秘書はすぐに空気を読み取り、静かにその場を離れていった。

尚輝はスマートフォンの画面を見下ろしながら、気のない口調で言った。「他の弁護士を探したら?」 そして、ふと付け加える。「…それと、女性のベルトは、もう少ししっかり締めたほうがいい」

その言葉を残し、彼はさっさとエレベーターを降りていった。

――なんて男なの…!薫は心の中で叫んだ。偽善者で、内に火を抱えた男。あれが鶴間尚輝の正体だ。

……

鶴間尚輝に断られた薫は、その後あらゆる手を尽くしても、彼に会うことすら叶わなかった。

家では京子がますます焦りを募らせ、不満の声を絶え間なくぶつけてくる。薫の心はすっかりすり減っていた。耐えきれなくなった彼女は、大学時代の友人――島崎彩乃と会う約束を取りつけた。

島崎彩乃は、大学を卒業してすぐに結婚した。B市でも名の知れた資産家の御曹司と結ばれ、社交界にも顔が広い。

薫は、そんな彩乃に助けを求めた。

ふたりはカフェで待ち合わせ、薫はこれまでの事情を一通り話した。

話を聞き終えた彩乃は、怒りを爆発させたように各務将人を罵倒した。ひとしきり怒鳴ったあと、ふいに目を細めて意地悪く笑う。「で?あの夜、本当に鶴間と…ギリギリだったってわけ?」

薫は顔を赤らめ、カップの中のコーヒーを静かにかき混ぜる。

彩乃は声を潜めてささやく。「いやあ、さすがだね薫!鶴間尚輝って、あの界隈でも目が肥えてるって有名だし、浮いた噂もほとんど聞かないのに…!」

薫は苦笑を浮かべた。「もう、どうしようもなかったのよ。自分一人じゃ、どうにもならなくて…彩乃を頼るしかなかったの」

彼女もわかっていた。鶴間尚輝は、あの業界では一目置かれる存在。手を貸すということは、彩乃にとっても簡単なことではない。下手をすれば、敵をつくることになるのだから。

島崎彩乃は義理堅い性格で、少しばかりの人脈を使って鶴間尚輝のスケジュールを入手してくれた。

*

土曜日の午後3時、鶴間尚輝はクラブでゴルフの約束があるらしい。

薫は島崎夫妻と一緒にクラブへ向かい、そこで思いがけず各務将人の姿を目にした。

その瞬間、彼女は動きを止めた。

彩乃が夫の腕をきつくつねりながら、不満げに言った。「ちゃんと確認してくれなきゃ。各務がいるなんて、薫がリラックスできるわけないでしょ」

「ごめん、俺の確認不足だ。薫ちゃん、本当にすまん!」夫が真剣な顔で謝るのを見て、薫が口を開こうとしたその時――

尚輝が彼女たちに気づいた。

白のカジュアルウェアに身を包んだ尚輝は、すらりとした体躯と端正な顔立ちで、まるで人波の中の王者のような存在感を放っていた。

事務所の時と同じ、彼はまるで薫のことなど知らないかのように振る舞い、島崎の夫にだけ軽く挨拶を交わした。

その瞬間、島崎の夫はまるで夢でも見ているかのように、恐縮しながら笑みを浮かべた。

そのときになって、尚輝はようやく薫の存在に気づいたかのように目を向けた。

もともと肌が綺麗な薫だったが、今日はひときわ涼しげな装いをしていた。

白のゆったりとしたTシャツに、淡いグレーのスポーツショートパンツ。

茶色がかったゆるい巻き髪は高めにまとめたお団子ヘアで、爽やかさのなかにほのかな色気が漂っていた。

尚輝の視線が、薫の白くすらりと伸びた脚をさっとかすめる。そして、何気ない口調で言った。「…この方は、初めてお見かけするね」

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