
世界的建築家は元専業主婦
章 2
胃からせり上がるような激痛に, 私は顔を歪め, お腹を抱え込んだ. 身体の痛みよりも, 心臓が握り潰されるような絶望が, 私の全身を支配した.
私は, 慎六郎のために, 私の全てを隠し, 平凡な妻を演じてきた. 彼の夢を支え, 彼の成功の陰で尽くしてきた. それなのに, 尽くしてきた私の末路がこれなのか.
『私の赤ちゃん…』
私は無力な母親だ. 何一つ守れない.
私は震える手で, 必死にお腹を庇った. しかし, 義母と結月の暴力は止まらない.
「この嘘つき女! 慎六郎お兄様を誑かすのもいい加減にしろ! 」
結月が, 私の頭を掴んで壁に打ち付けた. 視界が白く点滅する.
「死んでしまえばいいのよ! あなたのような女は, この世に必要ない! 」
義母は, 私の頬を何度も叩いた.
痛かった. 体が, もう限界だと叫んでいた.
朦朧とする意識の中で, 私の視界は赤く染まっていった. 熱い液体が, 太ももを伝って流れ落ちるのが分かった.
『血だ…』
激痛と共に, 私の体から大切なものが失われていくのが分かった.
「やめて…」
私はか細く呟いた.
その時, 玄関のドアがけたたましい音を立てて開いた. 私は一瞬, 救われると期待した. 慎六郎が帰ってきたのだと.
しかし, そこに現れたのは, 純白のドレスを身につけた絵里香だった. 彼女の瞳は潤み, まるで悲劇のヒロインのように見えた.
「奈津枝さん! なんてことをするの! ? 」
絵里香の甲高い声が, 部屋に響き渡った.
その後ろからは, 大勢のメディア関係者が押し寄せ, 一斉にフラッシュを焚き始めた. 私は, 何が起こっているのか理解できなかった.
フラッシュの眩しさに目が眩む. 薄れる視界の片隅に, 巨大な横断幕が見えた. そこには, 『家庭を壊す寄生虫, 野々村奈津枝』と書かれていた.
義母と結月は, 突然の事態に呆然と立ち尽くしていた. 計画が狂ったのだろう. 絵里香が, 私たちの計画を狂わせたのだ.
「お義母様, 結月ちゃん! 可哀そうな慎六郎さんを, 彼女から守ってあげて! 」
絵里香は涙ながらに叫び, 義母に抱きついた.
そして, カメラに向かって, まるで演技でもするかのように泣き始めた.
「奈津枝さんは, 私が慎六郎さんと結婚するのを邪魔するために, 勝手に住み着いていたんです! 私たちが幸せになるのが, 許せないんです! 」
絵里香は私の顔を指差し, 身の毛のよだつような嘘を並べ立てた.
「彼女は, 私のいない間に慎六郎さんを誑かした家政婦なんです! 私の慎六郎さんを返して! 」
絵里香は, 私に駆け寄ると, 力任せに私の頬を叩いた. 私の顔には, すでに義母に叩かれた跡と, 血の味が広がっている.
「これが, 他人の家庭を壊した女の末路よ! 私のファンのみんな, 見ていてください! この女の醜い姿を! 」
絵里香は, カメラに向かって, 勝ち誇ったように叫んだ.
私は, あまりのことに頭が真っ白になった.
「あなたは…何をしているんですか…私が, 慎六郎さんの, 妻です…! 」
私は痛む体を引きずりながら, 精一杯の力で反論した.
「あなたが, 私たちを, 壊したんです…! 」
「嘘をつかないで! 慎六郎さんは, 私しか愛していない! あなたみたいな, どこぞの馬の骨かも分からない女に, 慎六郎さんの愛が分かるはずがない! 」
絵里香はヒステリックに叫んだ.
その時, 義母が我に返った.
「そうよ! この女は寄生虫よ! 慎六郎の優しさにつけこんで, この家に居座っていたのよ! 今すぐ, この家から叩き出して! 」
メディアのフラッシュが, 一斉に私に向けられる. 私は, 屈辱と絶望の中で, 床に倒れ込んだ.
その時, 玄関のドアから, 慎六郎が駆け込んできた.
「絵里香! 奈津枝! 一体, 何をしているんだ! 」
慎六郎は, 混乱した顔で叫んだ.
絵里香は, 震える体で慎六郎に抱きついた.
「慎六郎さん! 奈津枝さんが, 私を, 私をいじめるんです! 慎六郎さんとの結婚を邪魔するために…」
慎六郎の目に, 私への軽蔑と怒りが宿った. 私を信じるどころか, 絵里香の言葉を真に受けたのだ.
「奈津枝! 絵里香に謝れ! なんてことをするんだ! 」
慎六郎は, 私を指差して叫んだ.
その瞬間, 私の下腹部に, 激しい痛みが走った. 熱い液体が, また, 大量に流れ出る.
『血だ…赤ちゃんが…』
私は, 声にならない悲鳴を上げた.
お腹の子が, 私から離れていくのが分かった.
私の意識は, ゆっくりと遠のいていく. 最後に見たのは, 慎六郎の冷酷な目と, 絵里香の勝ち誇った笑顔だった.
鼻を突く消毒液の匂いで, 私は意識を取り戻した. 重い瞼をゆっくりと開くと, 目に飛び込んできたのは, 真っ白な病室の天井だった.
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