
砕かれた福の神と愛の終焉
章 2
―― 麻里乃 ――
光紀が私に深い愛情を抱いているという噂は、百合奈の耳にも届いていたようだった。彼女は私を睨みつけ、苛立ちを隠さなかった。彼女はそんな噂を信じていなかった。私への優越感を保ちたかったのだろう。
「岩崎社長が本気であなたを愛しているなんて、ありえませんから。彼はあなたを恨んでいるだけです。あなたを苦しめることだけが、彼の喜びなんです。」
百合奈はそう言って、私を嘲笑った。彼女は光紀から与えられた特別な待遇をひけらかし始めた。
「社長は私に、最新のスマートフォンをプレゼントしてくれました。彼が『君の指に似合う』って。それから、海外旅行のチケットも。彼は私の行きたい場所ならどこへでも連れて行ってくれるんです。あなたにはそんなこと、してくれないでしょう?」
彼女は自慢げに話した。私は彼女の言葉を聞き流した。光紀が他の女性に同じようなことをしていたのを、何度も見てきた。贈り物、旅行、甘い言葉。全ては、彼が私への復讐のために使う道具だった。私を傷つけるための、彼なりの方法だった。
光紀は、私に嫉妬させ、苦しめるために愛人を作っていた。それは、これまでのすべての愛人に対してもそうだった。彼らの寵愛は短命に終わり、光紀はすぐに次の女を見つけた。しかし、百合奈は違った。光紀は百合奈に、他の誰にも見せなかった顔を見せていた。光紀と百合奈は、まるで本当に愛し合っているカップルのようだった。
光紀は百合奈の手を握り、優しく微笑んでいた。百合奈も光紀に寄り添い、甘えた声で話していた。彼女の瞳は光紀だけを映していた。その光景は、私の視界に何度も飛び込んできた。私の隣には誰もいなかった。私は一人だった。心に何かが刺さるような感覚も、もうなかった。
私は百合奈に問いかけた。私の声は、驚くほど冷静だった。
「あなたは彼に、私と離婚するように言わないのですか?」
私の言葉に、百合奈は一瞬ひるんだ。彼女の顔が怒りで赤くなった。目を見開いて私を睨みつけた。
「何を言っているんですか! 離婚なんて、そんなこと、私が言えるわけないでしょう! 私はまだ、社長の奥様じゃないんですから!」
百合奈は私に罵声を浴びせた。彼女の言葉は、まるで機関銃のように私に降り注いだ。
「あなたが社長を捨てたから、社長は私と親しくなったんです! あなたが悪いんでしょう! 醜いおばさん! 早く消えてなくなればいいのに! 私と社長の邪魔をしないでください!」
彼女はさらに言葉を続けた。
「社長はあなたを愛していません! 社長が愛しているのは私だけです! あなたなんか、早く彼の前から消えればいいんです! そうすれば、私が社長の隣に立てるのに!」
近くにいた社員が、百合奈の過激な言葉に戸惑っていた。彼らは百合奈を止めようとしたが、百合奈は聞かなかった。彼女は完全に感情的になっていた。
私は百合奈の言葉をただ受け入れた。罵られても、もう何も感じなかった。私の心は、すでに麻痺していた。私が彼を捨てたのは事実だった。私は醜い。早く消えてなくなるべき人間だった。彼女の言葉は、私の心を全く傷つけなかった。感情は、冷たい氷のように固まっていた。
私はもう、光紀に怒ることも、悲しむこともなかった。彼の存在は、私の心から完全に消え去っていた。彼の行動一つ一つが、私にとってどうでもよかった。
光紀は、私にとって何の価値もない人間になっていた。彼の愛情も、彼の憎しみも、私にはもう届かなかった。彼の言葉一つで、私の感情は揺らがなくなった。
私は光紀に徹底的に失望していた。私の心は、彼に対する期待を完全に手放した。もう彼に何も求めなかった。彼の行動は、私にとって意味をなさなかった。
私は自分の置かれた状況を冷静に理解していた。病気で、余命数ヶ月。夫には愛人がいて、私は彼に捨てられた女だと思われている。それでも、私はこの運命を受け入れた。抗う力も、抗う意味もなかった。
私は光紀への感情を完全に手放した。彼の存在は、私の人生から消えた。私は残りの人生を、自分のために生きようと決めた。
私はこれからの人生を、私自身のものとして生きる。死が訪れるその日まで、私は自由に生きる。私はもう、誰のためにも生きない。他人の期待に応えることも、誰かの復讐に付き合うことも、もうしない。だが、そう誓ったそばから、私の体は再び激痛を訴え始めた。まるで、そんな私の決意を嘲笑うかのように。
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