
小悪魔な君を、甘やかしたい――病み系社長の愛情攻撃
章 3
この話題に触れられた瞬間、如月陽翔の目にいたずらっぽい火が灯った。彼はすぐさま一ノ瀬澪の方へ身を乗り出し、眉をひそめては目配せを繰り返す。
「お前が海外にいた頃のことだから、知らなくても無理ないけどさ――これ、当時の海ノ宮じゃ毎日のように茶飲み話になってたんだぜ」 「朝倉奏真には、まるで宝物みたいに甘やかしてる養妹がいるんだよ。 あの白川南音がバカだったんだ、持参金として資金を丸ごと持って嫁いで、資金繰りに詰まってた朝倉家を救ってやったってのに……」
「それから一年経っても、 宴のたびに奏真が連れて歩くのはいつもその養妹。 朝倉家は何をするにも彼女優先、白川家のお嬢様はただの便利な世話係。嫁というよりは……見えない家政婦扱いだよ。まともな敬意なんて、一ミリもありゃしない」
如月陽翔は肩をすくめ、舌打ちしながら続けた。 「ったく、奏真のやつ、何考えてんだか。 容姿も気品も、どう見たって元・第一名媛の南音の方が格上だろ。 家にあんな美人を置いといて一切触れずに、毎日ベタベタとその……出自も分からん養妹に媚びへつらうなんて、正気の沙汰じゃねえよ」
だが、どれだけ喋っても隣から返事はなかった。不審に思って振り返ると――さっきまでソファに座っていたはずの男の姿は、すでにそこにはなかった。
「おい、ちょっと待てよ、大将! ……って、なんでいきなり消えるんだよ……」
白川南音が署名を終え、会場内の軽食コーナーへ足を向けようとしたそのとき――。背後から響いたのは、腹の底から怒気を含んだ男の声だった。 「白川南音!誰の許可を得て、勝手に一人で宴に来たっていうんだ!」
振り返ると、視界に飛び込んできたのは、華やかすぎるドレスを纏った朝倉雪織。その細い腕をしっかりと絡ませているのは、紛れもなく朝倉奏真だった。 雪織は表向きには気弱で従順な少女のように微笑みながらも、その瞳の奥には、はっきりとした優越感が光っていた。
「奏真お兄ちゃん、南音お姉ちゃんを責めないで。 きっと私があなたのパートナーとして来たのが気に入らなくて、わざと先に来て……困らせたかったんだと思うの」 「だから……」彼女は潤んだ瞳で奏真を見上げ、唇をかすかに震わせた。「……私、帰った方がいいよね? 南音お姉ちゃんがこれ以上不機嫌にならないように」
その言葉に、奏真は冷えた視線を白川南音に投げた。今日の南音は、これまでのような甘いドレスではない。凛としたチャイナドレスが、彼女の引き締まった身体を美しく包み、その立ち姿からは、一時の迷いも見えなかった。
まるでかつて――白川家の名を背負って帝都を魅了した、あの「社交界の華」が目の前に甦ったかのようだった。手が届かぬほど高貴で、そして憎らしいほど気高い。
奏真は鼻で笑い、「こういう場に、あんな気位だけ高い女を同伴させたら……朝倉家の顔に泥を塗ることになるだろう?」言葉には、冷たく鋭い棘があった。
朝倉奏真は、慰めるように雪織の手をそっと叩き、その声は限りなく優しかった。 「子どもの頃から、どんな宴でも俺の隣にいたのは君だった。これからも、唯一のパートナーは君だけだよ」
その一言で、二人の呼吸はぴたりと揃い、息の合ったやりとりの中で、白川南音はあっさりと“その他”に分類され、まるでそこにいないかのように扱われた。
「やれやれ……白川夫人も、なんで毎回こんな場で張り合おうとするのかしらね。 旦那があれだけ養妹に肩入れしてるって分かってるはずなのに……結局、毎回自分が辱められるだけじゃない」周囲にいた客の一人が、小声で呟いた。
だが、当の白川南音は、そんな言葉にも動じることなく、優雅な微笑みを湛えて言った。「ええ、雪織さんが奏真のパートナーなら、私も安心して見ていられるわ」
その柔らかい物腰に、誰もが「あれ、今日は騒がないのか?」と内心で首をかしげた。まさか白川南音が、あの“情熱家”から一転して、穏やかで包容力のある“良妻”の仮面を被るとは――予想だにしなかった。
雪織も一瞬目を見開いた。これはてっきり、奏真に叱られてようやく大人しくなったのだと 胸の内でほくそ笑んだその刹那――南音がふと声のトーンを変えて、さらりと放った。 「少なくとも、外で拾ってきたような女よりは、まだ“清潔”で安心よね」
その一言に、雪織の瞳がギラリと憎悪に染まった。
だが表面上は涙をにじませ、今にも零れ落ちそうな瞳で南音を見上げる。 「南音お姉ちゃん……私、分かってるよ。奏真お兄ちゃんが私に優しいからって、それでずっと私を責めてるんだよね。 私はいいの。 だって南音お姉ちゃんは名家のご令嬢、私みたいなのなんて、きっと見下されても仕方ないもの」 「でも……いくらなんでも、朝倉家をこんなふうに侮辱するのは違うと思うの。 何か言いたいことがあるなら、私に直接ぶつけてくれればいいのに。どうして、こんなに人を傷つける言い方をするの?」
その問いかけに、白川南音の胸の奥では、冷たい笑いが静かに渦を巻いた。
あのとき、朝倉家が没落の危機に瀕していたことを、彼女は誰よりもよく知っている。だからこそ、両家の縁組は世間から「身を落として嫁いだ」と揶揄され、メディアにもそう書き立てられた。 そしてそれこそが、朝倉奏真の心にずっと巣食っていた棘だった。
少しでも“家柄”の話題が出れば、彼は途端に敏感になり、南音が自分を見下していると思い込む。――実際には、ただ彼の劣等感がそう錯覚させているに過ぎない。
だが、その心理を誰よりも巧みに利用しているのが、朝倉雪織だった。いつもそうだ。言い争いになるたび、彼女はすかさず話題を「南音が家柄を盾に人を見下している」にすり替える。すると決まって、奏真の怒りは白川南音に向かうのだった。
今回も、例外ではなかった。 「謝れ!」奏真は怒りを露わにして、南音に向かって声を荒げた。 「前から思ってた。お前は“お姫様気取り”で、何様のつもりだ? だが今日の言動は、もう単なる高慢を超えてる。まるで下品な女だ。 白川家ってのは、そんな風に娘を育てる家だったのか? 百年の名門だって?笑わせるな!」
その目には、もはや警告の色すら浮かんでいた。 「今すぐ雪織に謝れ。そしてその首にかけてるネックレス、彼女に譲れ。 誠意を見せろ。そうすれば……今回のことは考えてやらんでもない」
その口調は、まるで命令だった。
――もしこれが以前の白川南音だったなら、きっと怖気づいて、素直に頭を下げたはずだ。彼の無言の圧に怯え、どんな理不尽も飲み込み、せめて一ヶ月にも及ぶ冷たい沈黙を避けようとしただろう。
だが、今の彼女は違った。あまりにも横暴な言葉を聞いた瞬間、彼女は静かに、けれどはっきりと叫んだ。
「……何ですって? あなた、私に“あの子”に土下座しろって言ってるの!?」
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