
社長、奥様がまた離婚届を取りに行かれました
章 3
高橋美月の言葉にキレたのかビビったのか、電話の向こうの藤本芽衣は言葉を詰まらせていた。美月がさらに暴言を吐こうとしたその時、伊東直人にスマホを取り上げられた。次の瞬間、嵐のようなキスが降ってきた。
「俺の優しさを味わわせてやる」なんて言っていたが、その実、直人はたっぷりと時間をかけて美月を攻め抜いた。結局、美月が泣いて許しを請うまで解放してくれなかった。
疲れ果てて泥のように眠り、ふと気づくと隣はもう空っぽだった。次に目が覚めたのは翌日のことだ。
この新しくもあり古くもあるベッドに横たわり、数分ほどぼんやりとする。分厚いカーテンが閉め切られているせいで、今が真昼間なのか夕暮れ時なのかも分からない。
昨夜の激しい情事の余韻が残る体を引きずり、気だるげにスマホを探り当てる。画面を点けた次の瞬間、芽衣のタイムラインが目に飛び込んできた。
写真には、キッチンで料理をする男の背中が写っている。直人を知る人間なら、誰が見ても一発で彼だと分かる背中だ。
パァン!
先月買ったばかりのスマホが容赦なく壁に叩きつけられる。幸い頑丈な機種だったらしく、無傷で済んだようだ。
「あのクソぶりっ子!ドクズ男が!」
美月は腹の底から絞り出すような声で罵り、歯ぎしりしながらベッドを出ようとした。
掛け布団を跳ね除けて立ち上がると、全身が鉛のように重く、あちこちが痛む。これも全部あのクズ男のせいだというのに、当の本人はスッキリした顔で愛人の飯を作りに行っているのか?
考えれば考えるほど腹が立ってくる!
芽衣のあの投稿は、明らかに美月への宣戦布告だった。
その時、控えめなノックの音が響いた。
続いて家政婦の声がする。
「奥様、お目覚めでしょうか? 旦那様から酔い覚ましのスープを作るよう言付かっております」
直人は愛人のところへ行っているくせに、家政婦には白々しくスープを用意させるなんて。美月は込み上げる怒りをどうにか抑え込んだ。
「もう平気だから、いらないわ」
しかし家政婦は立ち去ろうとせず、さらに優しげな声で続ける。「奥様、旦那様はお薬も用意されておりました。先にお召し上がりになりますか?」
美月はドアを開け、怪訝な顔で家政婦に尋ねた。「何の薬?」
「避妊薬です」
その一言が、美月の怒りに油を注いだ! もう我慢ならない!これ以上黙っていたら礼儀に反するレベルだ!
結婚して3年、行為自体は初めてではない。終わった後はいつも自分で薬を飲んでいたし、美月自身もまだ子供を作るつもりはなかった。
だが、自分が望まないのと、直人から「飲め」と買い与えられるのとでは話が別だ!
「飲むもんか!あのクソ男に伝えて。妊娠してやるってね!10人でも8人でも産んで、アイツをうんざりさせてやる!」
言い捨てると、美月はバタンとドアを閉めた!
家政婦の気配が消えると、美月は部屋中をひっくり返して薬を探し出した。体は自分のものだ。薬を飲まずに意地を張ったところで、あの男への当てつけにもならない。
柔らかいベッドに再び潜り込み、何度も寝返りを打つ。夢の世界へ落ちる直前まで、心の中で直人を罵り続けた。今回彼が急に部隊から戻ってきたのは、あの幼馴染に何かあったからではないか?そうでなければ、あんなに慌てて帰ってくるはずがない。
美月の勘は当たっていた。直人の帰還は確かに芽衣のためだったのだ。部隊を出てすぐに美月に何度か電話をかけたが出ず、調べてみると最近また若いアイドルを囲っているらしいと知った。そこでまずはバーへ向かって美月を捕獲し、「お仕置き」をしてから芽衣の元へ向かったというわけだ。
美月が布団の中で悪態をついている頃、直人は芽衣を連れて病院にいた。
「少し貧血気味ですが、他は順調ですよ。こちらはご主人様ですね?」
医師の不意の問いかけに、芽衣は言葉に詰まり、気まずそうな顔をした。
すると直人が一歩前に出て尋ねた。「先生、今後の生活で注意すべき点はありますか? 避けた方がいい食べ物とか」
肯定も否定もしないその態度は、芽衣の体面を守るためのものだった。
「体を冷やすもの、例えばカニなどは控えた方がいいですね。それ以外は食べたいものを食べて構いません。つわりもあるでしょうし、食べられる時に食べておくのが一番です」
「分かりました。ありがとうございます」
産婦人科を出て車に乗り込むと、直人はバックミラー越しに芽衣を見た。彼女はおそるおそる自身のお腹を撫でている。その顔には、母になる喜びが溢れていた。直人は小さく息を吐き出した。
「芽衣」
「直人お兄ちゃん、この子の心臓の音が聞こえた気がするの」 芽衣はキラキラと輝く瞳で直人を見つめる。その純粋な眼差しに、直人はこれから告げるべき言葉を躊躇った。
「芽衣、その子は諦めるんだ」
「嫌!」芽衣はきっぱりと拒絶し、その目には瞬く間に涙が溜まった。「直人お兄ちゃん、産みたいの。お願い、助けて。諦めろなんて言わないで。 一人でもちゃんと育ててみせるから……」
「産みたいって言うけど、私の許可は取ったのかしら?」
不意に響いた美月の声に、芽衣と直人はハッとした。街角には、いつの間にか美月が立っていた。彼女は両手を胸に組み、まるで他人事のように眺めているように見えた。だが、口にした言葉は全く違った——強い態度で、まるで「この人は私のもの」と宣言するような、強気な一言だった。
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