
籠の中の身重な鳥、冷酷な御曹司の甘い束縛
章 3
三谷美月は孤児院で育った子供の中で、最も将来有望な存在だった。優れた学業成績が認められ、国内屈指の名門大学に授業料全額免除で合格したのだ。
彼女が鷹司彰と出会ったのも、その大学時代のこと。周囲には名家の御曹司たちが数多くいたが、その中でも鷹司彰はひときわ群を抜き、自然と美月の目に留まった。
結婚したこの二年間、夜ごとの寄り添い合う日々さえ、一生分の思い出として胸に刻むだけで十分だと、美月はずっと思っていた。
だけど予期せぬことに、今やお腹に命が宿ってしまった。
この子を中絶する選択は、彼女にはできなかった。この世で自分と血を分け合う唯一の存在なのだから。鷹司彰に親権を奪われる不安は拭えないが、一方で淡い望みも抱いていた。もし彼が佐野佳世の機嫌を損ねたくないのなら、この子の存在を認めようともしないのではないか —— と。
しかし昨夜の出来事が、その甘い考えを打ち砕いた。
美月は深くため息をつき、まだ平らな下腹に視線を落とした。鷹司彰はあの一夜のことを覚えていないようだが、万全の準備を整えなければならない。彼の目の届かない場所でこっそり子供を産めば、きっと発見されることはない。
たとえ後にバレたとしても、今回の誤解という前例がある。本当に子供が生まれたとしても、彼が再び乗り込んでくることはないだろう。
歳末が近づき、企業バイロンでは毎年恒例の年度総括会議が開かれた。美月は年度報告書を手に本社へ出向いたが、その手にもう一通、退職届を忍ばせていた。
逃げ出すのだ。この街を、鷹司彰の元を、少しでも遠くへ離れるために。
会議は午前九時十分に開始する予定だったが、九時半になっても鷹司彰の姿は見えなかった。
「さっき入ってきた時、佐野さんを見かけましたよ」別の支社長が部屋に入り、小声で囁いた。「鷹司社長の執務室にいらっしゃいました」
「なるほど、遅刻したのも無理はない。佐野さんと過ごしているのだろう」
鷹司彰は仕事を最優先に、時間に厳格な人物として知られていた。佐野佳世の存在だけが、その彼のルールを崩してしまう。
この瞬間、美月は「特別に愛される」という意味を、身をもって理解した。
彼女は立ち上がり、会議室の窓際へ歩み、カーテンの隙間から向かいにある社長執務室を眺めた。執務室のカーテンは半分閉じられており、濃いグレーを基調とした落ち着いた室内に、鮮やかな紫色の姿が浮かんでいるのがぼんやりと見えた。
かつて鷹司彰の秘書だった美月にとって、この執務室は見慣れた場所だ。
脳裏に光景が浮かび上がる。鷹司彰が椅子に座り、佐野佳世が机の縁に寄りかかり、二人が見つめ合って穏やかに笑う姿。それ以上に親密な様子さえ、容易に想像できた。
彼女は鷹司彰のためにバイロンに入社した。ただ、彼のそばに寄り添う小さな存在でいたいと願っていただけなのに、気づけば思いがけず深い関係に巻き込まれてしまった。
もしかしたら、この絆が深かったのは自分だけで、鷹司彰にとって自分は、通りすがりの傍観者に過ぎないのかもしれない。
二年間の結婚生活で、特別な扱いを受けたことも、愛されていると実感したことも一度もなかった。必死になって彼のそばに寄ったことが、果たして正しかったのか、間違いだったのか。
かつて深く結ばれた日々を思うと、ささやかな幸せを感じる一方、激しい後悔も押し寄せる。嬉しさと切なさ、後悔と未練 —— 入り混じった複雑な感情が、胸いっぱいに広がっていく。
「皆さん、報告を始めてください。会議は全て録画されており、社長が後で再生して確認されます」
遠藤航が会議室の扉を開け、声をかけてきた。
美月は指先を軽く動かし、カーテンから手を離し、うつむいたまま自分の席へ戻って座った。
各支社の責任者たちが順番に報告を進める。鷹司彰が同席していないため、議事は滞りなく進み、当初三時間を見込んでいた会議も、二時間で終了した。
「それでは皆さん、先に懇親パーティーの会場へ移動してください。社長もすぐに向かわれます」
遠藤航が各支社の年度報告書を回収し始め、美月の席に差し掛かった。
美月は柔らかく笑みを浮かべた。
「遠藤補佐、これを鷹司社長に届けていただけますか」
退職届を封筒に入れて差し出す。本来は直接手渡そうと考えていたが、佐野佳世が執務室にいる今、中に入るわけにはいかなかった。
「直接社長に渡しても大丈夫ですよ」
遠藤航は鷹司彰の専任補佐であり、美月が秘書だった頃から仕事で連携してきた仲だ。二人の結婚関係を知る、社内で唯一の人物でもある。彼は執務室の方をちらりと眺め、続けた。「仕事上の書類ですから、ノックして入って問題ありません」
会議室の扉は開け放たれており、執務室の中の様子がはっきりと伺えた。
佐野佳世は鷹司彰の社長用椅子の縁に腰を下ろし、二人の距離は極端に近い。
いつもは輪郭のはっきりした冷めた表情を見せる鷹司彰の顔に、柔らかな面影が宿っていた。金縁の眼鏡の奥、普段は澄んで厳しい瞳には、今や優しい情念があふれている。
この半年間、二人がこのように過ごしてきたのだろう。遠藤航はもう見慣れた様子だった。
だが美月にとって、鷹司彰がこれほど柔らかい表情を見せるのは初めての光景だ。思わず呼吸が詰まり、身動きが取れなくなった。
美月は退職届を無理やり遠藤航の手に押しつけ、声を潜めながらも断固とした口調で、必ず鷹司彰へ届けるよう頼んだ。どのような結末になろうと、自分は二度とこのビルに足を踏み入れない、とはっきり告げた。
遠藤は掌に収まった封筒を眺め、次に遠方で顔色を険しく曇らせた鷹司彰の姿に目を移した。瞳に無力さと同情の色が過ぎり、最終的に何も言わず書類を受け取った。
美月はもう彰の方を一瞥もせず、背筋を凛と伸ばし、ちょうど開いたエレベーターへと歩み入った。足取りを乱すことなく穏やかに進み、地下駐車場へ向かうボタンを押した。
エレベーターの扉がゆっくりと閉まり、駆け寄ろうとした彰の視線を遮り、同時に佐野佳世の隠しきれない得意げな笑みも完全に隔てた。
箱が地下へと降下していくにつれ、ずっと緊張状態だった肩の力がすっかり抜け落ちた。美月はエレベーターの内壁に身をもたれ、長い間堪え続けてきた涙が一粒、ついに手の甲に零れ落ちた。
彼女はこの瞬間、東京を離れる決意を完全に固めた。
おすすめの作品





