
元カレが跪く時私は笑う
章 3
松本莉泉 POV:
翌日, 私は事務所に出社し, 辞職届を提出した.
午前中は, 淡々と引き継ぎ作業をこなした.
私の手から, これまで心血を注いできたプロジェクトが離れていく.
だが, もう何の感情も湧き上がらない.
休憩時間, 給湯室でコーヒーを淹れていると, ふと近くのデスクから聞こえてくる会話が耳に入った.
それは, 同僚たちのチャットルームの通知音だった.
画面を覗き込むつもりはなかったが, 目に飛び込んできた文字に, 私は思わず息を飲んだ.
「篠原さんと高塚さん, やっぱりお似合いだよね」
「莉泉さん, 可哀想だけど, 高塚さんには敵わないよ」
「うんうん, なんか莉泉さんって, ずっと篠原さんのこと追いかけてた感じだったし」
「結局, 篠原さんにとって, 莉泉さんはただの便利な人だったってことだよね」
「高塚さんみたいなお金持ちのお嬢様と結婚できるなんて, 篠原さんも運がいいわ」
熱湯がカップから溢れ, 私の指に落ちた.
熱い.
だが, その痛みよりも, 心に広がる冷たさの方が, ずっと強かった.
私は勇夫と十五年もの間, 共に歩んできた.
無名の事務所を, 業界の注目株にまで押し上げた.
寝食を忘れ, 彼の夢のために尽くした.
だが, 周りの人間には, そんな私の努力も, 愛情も, 見えていなかった.
彼らは私を, ただ「篠原さんにすがりつく, 気の毒な女」としか見ていなかったのだ.
勇夫はいつも, 「俺たちの関係は, 仕事に影響が出ないように, 公にはしないでおこう」と言っていた.
私はそれを, 彼の優しさだと信じていた.
だが, 高塚優が現れてから, 彼は手のひらを返したように, 優との関係を公にした.
優がSNSに投稿する私たち二人の写真にも, 勇夫は笑顔で写っていた.
公での振る舞いは, 以前とは比べ物にならないほど堂々としていた.
ああ, そうか.
勇夫は, 一度たりとも私を愛してなどいなかったのだ.
私がどれだけ尽くしても, どれだけ努力しても, 彼の心は動かなかった.
私はただ, 彼の成功のための道具でしかなかった.
その事実に, 私は今更ながら気づいた.
私はスマートフォンを開いた.
優のSNSアカウント.
そこに投稿されているのは, まばゆいばかりのエンゲージリングの写真と, 勇夫と優が抱き合っている写真だった.
「勇夫さんからのサプライズプロポーズ! 最高の誕生日プレゼントだわ! 」
優の文章は, 幸せをこれでもかとばかりにアピールしていた.
私は, そのエンゲージリングのデザインに目を奪われた.
それは, 私が勇夫の誕生日プレゼントとして, 数ヶ月かけてデザインし, 制作した指輪だった.
限定版の香水と, この指輪.
勇夫は, 私からのプレゼントを, そのまま優に横流ししたのだ.
自分の才能が, こんな形で利用されるとは.
私は, ただただ呆然とした.
勇夫は, 優の投稿をリツイートし, 「最高のパートナーと巡り会えた」というコメントを添えていた.
その投稿には, すでに何百件もの「おめでとう」のコメントが寄せられている.
私は, 無感情な指で, その投稿に「いいね」を押した.
その瞬間のことだった.
私のスマートフォンが, けたたましく鳴り響いた.
勇夫からの電話だった.
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