
夫と息子の裏切り、妻の壮絶な復讐
章 2
久江POV:
信彦は私の言葉に眉をひそめた. 遼は隣で, 不安そうに私と信彦の顔を見比べた.
「今は体調が悪いだろう. また後日にしよう. 」信彦は, 私の言葉を軽くあしらった. 彼は, 私が何を話したがっているのか, 全く理解していないようだった. あるいは, 理解しようとさえしていないのかもしれない.
私の心の中で, 冷たい嘲笑が響いた. これまでの結婚生活で, 何度こんな風に, 私の言葉は彼の耳に届かなかったことか. 私の感情は, 常に彼の都合の良いように解釈され, 無視されてきた.
「いいえ. 今, お話ししたいのです. 」私は, 声のトーンを落とし, はっきりと告げた. 私の意思は, かつてないほど固かった.
信彦は, 私の強い態度に一瞬ひるんだようだったが, すぐにいつもの傲慢な顔に戻った. 「本当に大したことないんだろうな? お前はいつも大袈裟なんだ. 」
私の胸に, 鈍い痛みが走った. 大袈裟. 彼は, 私がピーナッツアレルギーで死の淵を彷徨ったことを, 大袈裟だと言っているのか.
「パパ, ママ, 怖いよ…」遼が信彦の服の裾を引いた.
信彦は遼を抱き上げ, 私に背を向けた. 「ほら, 遼も疲れてるんだ. また元気になったら, ゆっくり話そうじゃないか. お前も無理するな. 」
彼はそう言い残し, 遼を連れて病室を出て行こうとした. その背中は, 私とは別の世界に生きているかのように遠く感じられた.
その時, 信彦のスマホが鳴った. それは, 彼が以前設定していた, 理沙子専用の着信音だった. 軽快で, 少し挑発的なメロディ. 私の心臓が, 再び激しく鼓動し始めた.
あの音. あの音は, 私と彼がまだ恋人だった頃, 私が彼のために選んだ着信音だ. あの頃の彼は, 私を愛していた. 私だけを.
信彦は, 私に背を向けたまま, スマホを取り出した. 彼の顔は, 電話の相手が理沙子だと分かった途端, 柔らかなものに変わった. 私の知っている, あの優しい笑顔だった. その笑顔は, 私に向けられることはもう決してないものなのだと, 私は悟った.
「もしもし, 理沙子? ああ, 今病院を出るところだ. 遼も一緒だよ. 」彼の声は, 私と話す時とは全く違う, 甘く, 優しい響きを帯びていた. まるで, 私がここにいないかのように.
彼は, 電話口の理沙子に何かを尋ねられたのだろう. 「ああ, 久江か? ああ, 大丈夫だよ. もう落ち着いたってさ. 心配するな. 」
彼は, 私のことなど, どうでもいいかのように言い放った. 私の心は, 荒れ狂う嵐の海へと沈んでいく.
「パパ, 理沙子おばちゃん, 元気? 」遼が電話口の理沙子に話しかけようとした.
信彦は遼の頭を撫でながら, 電話に集中している. 「うん, わかった. すぐにそっちに向かう. 遼も理沙子おばちゃんに会いたいってさ. 」
彼は私に一瞥もくれず, 病室を出て行った. 遼もまた, 信彦の隣で, 理沙子に会えることを楽しみにしているようだった.
病室には, 静寂だけが残された. 彼らが去った後, 私はようやく, 胸の奥に閉じ込めていた感情を解放した. 涙が, 頬を伝って流れ落ちる.
私は, 彼が私の言葉に耳を傾けていないことを知っていた. 彼は, 私が差し出した「プレゼント」の意味を理解していなかった. 彼は, 私という存在を, すでに過去のものとして扱っているのだ.
信彦のスマホの画面に, 理沙子とのツーショット写真が待受画面として表示されていた. それは, 私のスマホにはない, 親密な写真だった. その写真の中の理沙子は, 私には見せたことのない, 満面の笑みを浮かべていた.
彼は, 理沙子に恋をしている.
それは, 私にとっては残酷な真実だった. 私は, 彼の妻であり, 彼の会社の成功を支えた唯一の人間であり, 彼の子供の母親である. しかし, 彼の心は, すでに私から離れて久しかったのだ.
私は, 彼のスマホの画面に映る写真を見つめた. そこには, 私の居場所はなかった. 私の存在は, 彼らの世界から, 完全に消し去られていた.
私は, 震える手で弁護士に電話をかけた.
「離婚したいんです. 」私の声は, 驚くほど冷静だった.
弁護士は, 私の言葉に少し驚いたようだったが, すぐに丁寧な口調で返した. 「かしこまりました. 詳細をお伺いしてもよろしいでしょうか? 」
「はい. そして, 私は, 浜田信彦の会社, 彼の持つ全ての権利を奪い返したいのです. 」私は, かつてないほど強い意志を込めて言った.
弁護士は沈黙した.
「子供の親権は, 信彦に渡します. 」私は続けた.
「よろしいのですか? お子様の親権は, 通常, 母親が…」弁護士は, 私の言葉に戸惑いを隠せないようだった.
「いいえ. 私は, 彼らから何もいりません. ただ, 私の人生を, 私の手で取り戻したいだけです. 」私の声は, もはや涙で震えることはなかった.
私の心は, すでに決まっていた. 過去の私と決別し, 新しい人生を歩むために. 彼らへの「静かな復讐」を果たすために.
「久江, どうしたんだ? 」信彦が, 病室のドアを開けて入ってきた. その顔には, 先ほどの焦りや苛立ちとは違う, どこか疲れたような表情が浮かんでいる.
彼は, 私が弁護士と話していることを知らない. 彼は, 私がすでに, 彼との終わりを決意していることを知らない.
「なんでもありません. 」私は, 手元にあった雑誌を拾い上げ, 顔を隠した.
信彦は, 私の行動に不審な目を向けたが, 深く追求はしなかった. 彼は, 再びため息をついた. 「ああ, そういえば, 誕生日プレゼントだ. 遼と一緒に選んだんだ. 」
彼は, 私のベッドサイドテーブルに, 小さな箱を置いた. それは, 私が以前から欲しがっていた, 限定版のワイヤレスイヤホンだった.
私は, その箱を一瞥した. それは, 彼らの罪悪感を埋め合わせるための, 形だけの贈り物だった.
「私のプレゼントは, あなたたちには大きすぎるわ. 」私は, 静かに, そして皮肉を込めて言った.
信彦は, 私の言葉の意味を理解できなかったようだった. 「何を言ってるんだ? お前が欲しがってたやつだろう? 」
私は, 彼の言葉に答えることなく, ただ静かに, 箱を見つめていた.
「じゃあ, 俺はこれで. 理沙子から連絡があって, またトラブルが…」信彦は, そう言い残し, 再び病室を出て行こうとした.
遼もまた, 信彦の後を追うように, 私に背を向けた.
私は, 彼らの背中を見つめた. 彼らは, 私の感情を, 私の存在を, 何もかもを無視して, 彼らの都合の良い世界へと去っていく.
私は, 目を閉じた. 私の心の中で, 冷たい復讐の炎が燃え盛っていた.
---
おすすめの作品





