
夫と愛人、裏切りの微笑み
章 3
桐山葵 視点:
窓の外では, 満開の桜が風に揺れていた.
花びらが舞い落ちる様子は, まるで粉雪のようだった.
その美しさは, 私の心の荒廃とは対照的で, かえって私の心を深く抉った.
私は, ただその桜を眺めることしかできなかった.
無意味な美しさだった.
私は, ゆっくりと庭に降りた.
冷たい空気が頬を撫でる.
桜の木の下に立つと, 花びらが私の髪や肩に降り積もった.
その重みが, まるで私の罪のようだった.
私は, その花びらを払うこともせず, ただ立ち尽くしていた.
その時, 私の携帯電話が鳴った.
執事からだった.
「奥様, 桜歌奈様が深沢会長の邸宅に無事到着されたと連絡が入りました」
私は, 静かに電話を切った.
私の計画が, 着々と進んでいる.
私は, 再び窓辺に戻り, 双眼鏡を手に取った.
深沢会長の邸宅が, ここからわずかに見える.
桜歌奈が, 真史の腕に抱きしめられているのが見えた.
彼女は, 満面の笑みを浮かべている.
まるで, 幼い子供が念願のおもちゃを手に入れたかのように.
彼女の顔は, 昨日の夜の涙の痕跡もなく, 完全に晴れやかだった.
「おめでとう, 真史さん. これで, あなたの大切なものが手に入ったわね」
私の声は, 皮肉に満ちていた.
しかし, その声は, 誰にも届くことなく, 虚しく部屋に響いた.
私たち夫婦は, 形式上は同じ屋根の下で暮らしていた.
だが, その実態は, まるで別の星に住む二人のようだった.
寝室は別々, 食事も別々.
夫婦としての会話は, ほとんどなかった.
私たちの関係は, 完全に冷え切っていた.
私は, 真史にとって, ただの飾り物に過ぎなかった.
今朝も, 同じだった.
私は, 朝食のテーブルに座っていた.
目の前には, 豪華な朝食が並んでいる.
しかし, 私の食欲は, まるで湧いてこない.
私の心は, 空っぽだった.
私はただ, 真史が何かを言ってくれるのを待っていた.
何か, 私を気にかけるような, 言葉を.
しかし, 彼は, 私の存在を無視するかのように, 新聞を広げ, 食事を始めた.
彼の視線は, 新聞の文字に釘付けになっている.
まるで, 私が最初からそこにいないかのように.
私は, その光景を見て, 深い絶望に打ちのめされた.
彼は, 私にとって, もう何でもない存在なのだ.
彼は, 突然, はっと顔を上げた.
「葵, お前, 何を突っ立っているんだ? まだいたのか」
彼の声には, 苛立ちが混じっていた.
私は, 彼の言葉に, 一瞬, 戸惑いを覚えた.
私の計画は, 彼に動揺を与えるはずだった.
しかし, 彼の反応は, 私の予想とは全く違っていた.
彼は, まるで私が邪魔な存在であるかのように, 私を睨みつけている.
私は, 彼の言葉から, 彼の本心を探ろうとした.
彼は, 私が邪魔だと言っている.
つまり, 私の存在は, 彼にとって, もはや何の価値もないということだ.
私は, 彼の野心のための道具に過ぎない.
その道具が, 彼の邪魔になっている.
私は, 彼の邪魔者になったのだ.
一体, 何のために, 私はここにいるのだろう?
この結婚は, 私の家族と彼の家族, 双方の利益のために行われた.
私は, 桐山流の家元の娘として, その役割を果たさなければならない.
しかし, 真史は, 私の存在を疎ましく思っている.
私たちの関係は, ただの重荷に過ぎない.
私は, 真史の苦しみを想像してみた.
彼は, 私との偽りの結婚を続けなければならない.
それは, 彼にとって, どれほどの苦痛なのだろう.
もしかしたら, 私よりも, 彼の方が苦しんでいるのかもしれない.
そう考えると, 私の心は, 少しだけ軽くなった.
深沢家との協力関係は, ますます強固なものになっていく.
それは, まるで私たちが, 一つの大きな鎖で繋がれているかのようだった.
私たちが, どれほど憎み合っても, 別れることは許されない.
それが, 私たちの運命だった.
私は, 真史との関係を冷静に振り返った.
私たちが, どれほどの時間と労力を費やしてきたか.
どれほどの涙を流してきたか.
しかし, そのすべては, 無駄だった.
私たちの間には, 常に桜歌奈という存在が立ちはだかっていた.
彼女は, 私たちの関係を, まるで蜘蛛の巣のように絡め取っていた.
もう, 彼と穏便に別れることはできない.
真史は, 私が彼を捨てようとしていると誤解している.
彼は, 私を手放そうとはしない.
私は, 彼が本当に望むものを手に入れる手助けをする.
それが, 私にできる最後の償いだ.
私の心の中では, すでに決着がついていた.
私は, 真史に自由を与える.
そして, 私自身も, この絶望から解放される.
それが, 私の最後の願いだった.
私は, 自嘲気味に微笑んだ.
私は, 桐山流の家元の娘だ.
そして, 深沢真史の妻でもある.
この二つの顔が, 私を縛りつけている.
しかし, 私は, この状況を逆手にとる.
私は, 桐山流の家元の娘という立場を利用して, 真史の野心を手助けするつもりだ.
それが, 彼への最後の贈り物になるだろう.
そして, 私自身も, この地獄から解放される.
私は, 再び窓辺に立った.
庭園の桜の木が, 朝日に照らされて, 一層輝いている.
美しい光景だった.
しかし, 私の心は, その美しさを感じることができなかった.
私の心は, 凍りついていた.
私の人生は, まるで, この桜の花びらのように, 散りゆく運命なのだろうか.
私は, ただ, その結末を待つことしかできなかった.
私の心の奥底には, 深い虚無感が広がっていた.
それは, 何もかもを諦めた者の, 静かな絶望だった.
私は, ただ, 終わりの時を待つだけだ.
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