
蹂躙されるのはあなた達よ〜覚醒した天才神医と最狂ドンの淫らな執着〜
章 3
田中家の屋敷。
「お母様、清佳姉さんって本当に品があるし、しかも博士号まで持ってるんですよ。 それに比べて桜井知美は何なんですか。いつも陰気くさくて、見てるだけで食欲なくなるわ」
「ふん、あんな女、うちで飯でも作ってるのがお似合いよ」 田中夫人の鼻で笑うような声が響いた。「今日はあの貧乏くさい父親に会いに行ったんでしょう?」
神子がくすくすと笑った。「海外から帰ってきたんですって? どうせどこかの辺境で違法な仕事でもしてて、食い詰めたから娘を頼って戻ってきたんじゃない?」
鴻太は眉をひそめただけで、その言葉を咎めようとはしなかった。
そのとき、玄関のドアが開く。
入ってきた知美の姿を見た途端、田中夫人の顔には露骨な嫌悪が浮かんだ。
「あら、ちゃんと帰ってきたのね。 だったら早く夕飯の支度をしなさいな」
知美は何も言わない。ただ静かに靴を履き替えると、そのまま二階へ向かって歩き出した。
「ちょっと!お母様が話してるでしょ!聞こえないの?」
「何その態度? 貧乏親父に会ってきたくらいで、急に図に乗ったわけ?」
知美は足を止めた。目の前に立ちはだかる神子を、氷のような目でまっすぐ見据える。「どいて」
その一言に、神子は思わず半歩退いた。けれどすぐに我に返ると、むきになって声を張り上げる。「なによ、その目! ここは私の家なのよ!」
「お兄ちゃんに養ってもらってるくせに、食事くらい作って何が悪いのよ!」
「あなたの家?」知美はそう呟き、ゆっくりと視線を屋敷の中へ巡らせた。
――家を探していたあの頃。田中鴻太は、まだスラム街を抜け出して間もない頃だった。知美は彼から千円だけ受け取ると、そのまま桜井家の所有する邸宅のひとつへ彼らを住まわせた。
しかも彼の自尊心を傷つけまいとして、これは自分の親戚が所有している家で、しばらく借りられるだけだと、わざわざ嘘までついて。
知美の唇に、冷え切った笑みが浮かんだ。「田中鴻太。教えてあげたら? この家が、本当は誰のものなのか」
その一言に、鴻太の顔色がさっと変わった。「お前、何を言い出すんだ!」
「何を、って?」 知美は目の前の男を見つめた。五年も一緒にいたはずなのに、今はもう、見知らぬ他人を見るような気分だった。「何? 本当のことを言えないの?」
「黙れ!」鴻太は低く怒鳴り、あからさまな警告をその目に滲ませる。「お義父さんを迎えに行かなかった件は、たしかに俺が悪かった。お前が腹を立てるのもわかる。そこは謝る」
「だからって、これ以上騒ぐな。疲れてるなら部屋に戻って休め」
「私は疲れてない」知美はそう言って、ゆっくりとローテーブルの前まで歩み出した。「ただ、ちゃんと話を終わらせたいだけよ」
あまりに普段と違うその態度に、田中夫人は完全に逆上した。勢いよく立ち上がると、甲高い声を張り上げた。「何様のつもりよ、この小娘が!鴻太に向かってそんな口を――」
そして、その口から飛び出したのは、さらに下劣な言葉だった。「どうせあんたの母親だって、どこぞの男と駆け落ちでもしたんでしょ!」
知美の目つきが、一瞬で変わる。「……今、何て言ったの?」
「何か間違ってる?」田中夫人は両手を腰に当て、唾を飛ばしながら吐き捨てた。「失踪ですって? 笑わせないで。男と逃げたに決まってるじゃない。
あのふしだらな女!」
「今日だって遅くまで帰ってこなかったんでしょ? 母親そっくりに、どこかで男と会ってたんじゃないの!」
「黙れ!」
次の瞬間、知美がテーブルを叩きつけた。バンッ――と鈍い音が響き、上に置かれていたカップが跳ねる。室内の空気が、一瞬で凍りついた。
母を侮辱することだけは、絶対に許せない。
それは、知美にとって誰にも触れさせてはならない逆鱗だった。
踏みにじった者は、何があっても無事では済まない。
その剣幕に、田中夫人は一度こそ怯んだ。けれどすぐに我に返ると、今度は恥をかかされた怒りで顔を真っ赤にした。「あらまあ!見てちょうだい鴻太!これがあんたの嫁よ!」
鴻太も眉間に深い皺を刻み、知美を睨んだ。「何をそんなに怒鳴ってるんだ。母さんだぞ!」
「年だって取ってるし、体も弱いんだ。少し口が過ぎたくらいで、そこまで怒ることか?今すぐ母さんに謝れ!」
謝れ――?
母を売女呼ばわりして、「少し口が過ぎた」で済ますつもりか?
知美は、五年間愛してきたその顔を見つめたまま、胸の奥からじわじわと冷え切っていくのを感じていた。
――あの日、自分を命懸けで助けてくれたのは、本当にこの人だったのだろうか。そんな疑いさえ、胸をよぎった。
知美は一歩、静かに後ろへ下がった。二人の間に、はっきりと距離を作るように。
「もう一度だけ聞くわ」
「あなたも……母のことを、あの人たちが言うような女だと思ってるの?」 「それに、私が母を捜そうとしてきたことを……あなたは一度でも、本気で助けようと思ったことがあるの?」
鴻太は知美を見た。それから、怒りに顔を歪めた母と妹へ視線を移した。
この場で母に逆らえば、また面倒なことになる。それは彼にも、よくわかっていた。
――知美のことなら、どうせ自分からは離れられない。あとでなだめればいい。
そう思った鴻太は、知美の焼けつくような視線から目を逸らし、口を閉ざした。
また、沈黙。
田中家の人間が彼女を踏みにじるたび、彼はいつもこうして黙り込む。何も言わず、何も止めず、ただ見ているだけ。
知美は、ふっと笑った。
――ほら。答えなんて、ずっと前から出ていたじゃない。
この五年間、彼女が母を捜したいと口にするたび、鴻太は決まって話をはぐらかした。時には、もう無駄だと暗に諦めさせようとすらした。
つまり彼の中でも、母はとうに「ろくでもない女」として片づけられていたのだ。
「……そう、よく分かったわ」
そして次の瞬間、まっすぐ鴻太を見据えた。「田中鴻太。三年前、あなたの会社の資金繰りが完全に詰まったとき、最初の融資を引っ張ってきたのが誰だったか――忘れたの?」
「まさか、自分の運が良かっただけだとでも思ってた? あれは私が、昔の恩師に頭を下げてようやく繋いでもらった話だったのよ」
「それから、あんたの母の胃潰瘍も」知美の視線が、そのまま田中夫人へと向く。「医者に手術しかないと言われたとき、誰が毎日三時間しか寝ずに薬膳を煎じて、一口ずつ飲ませて、あそこまで回復させたと思ってるの?」
鴻太は顔色を変え、苦々しく口を開いた。「……今さら昔のことを持ち出して、何になる」
「今さら?」知美はかすかに嗤ったあと、今度は神子を見た。 「田中神子。あなた、自分がヨーロッパの上流階級のパーティーに出入りできるようになったのは、田中家にお金があるからだと思ってるの?」
「出席するたびに私があなたのドレスを選んで、誰が何を好んで、どんな話題を嫌うかまで全部教えてあげた。それがなかったら、あなたは今でもあの世界の入口にすら立てていなかったはずよ」
「私は……あなたたちのために、できることを全部してきた」一語一語、押し殺したように言い切った。「家族だと思っていたから」
「それなのに、あなたたちは?」
「もういい加減にしなさい!」ついに田中夫人が怒鳴り声を上げ、知美の目の前まで突進してきた。怒りに任せて振り上げた手が、そのまま頬を打とうと振り下ろされた。
「恩知らずめ!うちが拾ってやらなきゃ、あんたなんかとっくに野垂れ死にしてたくせに!」
「お前がいなかったら、私の胃だってとっくに治ってたわ!」
「この恩知らずが――ぶっ叩いてやる!」
鋭い風を切って、掌が迫る。
だがその瞬間、知美は身を翻してそれをかわした。すると夫人は、その勢いのまま知美が胸に抱えていたクラフト封筒をひったきた。「そんなガラクタ、寄こしなさい!」
ビリッ――封筒が破れ、中から一枚の家族写真が滑り落ちた。
床へ舞い落ちたそれを、夫人はろくに見もしないまま拾い上げ、その場で引き裂いた。
「縁起でもない!あんたの死んだ母親と同じで、不吉なものは田中家に持ち込むんじゃないよ!」
その瞬間。知美の表情から、最後の温度が消えた。彼女は田中夫人を押しのけ、床に散った写真を拾い上げた。震える指で破れた端を合わせながら、そのまま弾かれたように外へ飛び出した。
「知美――!」制止しようとする間もなく、知美は彼の手を振り払い、わずかな躊躇もなく玄関の向こうへと姿を消した。
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