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契約の花嫁:ソーンの贖罪 の小説カバー

契約の花嫁:ソーンの贖罪

無機質な病院のベッドで、私は失った我が子を想い絶望の淵にいた。周囲は不慮の事故だと決めつけるが、私を突き飛ばした夫・健司の冷徹な眼差しを忘れることはできない。見舞いに現れた彼は、花束の代わりに離婚届と秘密保持契約書を突きつけた。かつての親友である愛人の妊娠を告げ、邪魔者となった私を精神疾患に仕立て上げて社会的に抹殺しようと画策していたのだ。愛した男が怪物へと変貌し、人生を買い叩かれる屈辱に震えるなか、亡き両親の知人である弁護士が私のもとを訪れる。彼女から託された古びた鍵は、一族の血脈に眠る古い約束を呼び覚ますものだった。それは、夫が最も恐れる冷酷非道な億万長者、九条院玲との間に交わされた絶対的な婚約契約。過去から届いたこの「逃げ道」は、私を地獄から救い出す唯一の希望となるのか。裏切りに塗れた結婚生活を清算し、謎に包まれた有力者との新たな契約に身を投じる波乱のロマンス。奪われた尊厳を取り戻すための、孤独な女の逆襲が今幕を開ける。
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3

九条院玲のオフィスの静寂は、彼自身と同じくらい絶対的で、心をかき乱すものだった。

そこは彼を完璧に反映した空間だった。ミニマリストで、力強く、そして個人的な温かみが一切ない。

壁の一面は床から天井までの窓で、東京の神のような眺めを提供していた。雨に濡れた通りやビルが、地図のように広がっている。

他の壁はむき出しで、厳しいギャラリーホワイトに塗られていた。

家具は、ダークで磨かれた木製の巨大なデスクと、二脚の革張りの椅子だけ。

空気は古い革と高価なインク、そして建物の奥深くにあるサーバーから発せられるかすかなオゾンの清潔な匂いがした。

私は椅子の一脚に座っていた。冷たい革が、スクラブの薄い生地に張り付く。

嵐の中から拾われてきた野良犬が、高価な絨毯の上に滴を垂らしているような気分だった。

羊皮紙の契約書が、私たちの間のデスクの上に置かれていた。この現代性の神殿における、奇妙で古代の遺物。

玲は私の向かいに座り、文書ではなく、私を見ていた。

彼の氷のような灰色の目は容赦なく、私の防御を一枚一枚剥ぎ取っていく。

彼がロビーで呆然と見つめる群衆をたった一つの鋭い仕草で退け、エヴリンという名の厳格そうな秘書に私をプライベートエレベーターで案内させて以来、彼は一言も発していなかった。

私の心臓はまだ、肋骨に対して狂ったようなリズムを刻んでいた。

(何か言って。何でもいいから。怒ってるの?追い出すつもり?彼は一瞥でガラスを粉々にできそうだわ)

私は膝の上で手を組み、指の関節が白くなった。

ついに、彼は契約書を手に取った。

彼の長く、優雅な指が、驚くほど繊細に古い紙を扱った。

彼はゆっくりとそれを読み、その表情は読み取れなかった。

聞こえるのは、羊皮紙の柔らかな擦れる音と、窓に静かに、そして執拗に打ちつける雨音だけ。

彼の顎は固く、集中を示す硬い線を描いていた。

驚きも、衝撃もなく、ただ静かで、強烈な集中力だけがあった。

永遠に感じられる時間の後、彼は文書をデスクに戻し、端に完璧に揃えた。

「私の法務チームがこれを確認する必要がある」

彼の声は低く、響き渡るバリトンで、ロビーの大理石のように冷たく滑らかだった。

「だが、祖父の署名には見覚えがある。本物のようだ」

私は、自分が息を止めていたことに気づき、息を吐き出した。

「本物です」

彼は椅子の背にもたれかかり、革が柔らかくうめいた。

指を組み、その視線は私をその場に釘付けにした。

「それで、倉田さん。私に何を望む?」

その質問は氷の塊だった。

彼は契約書に何が書かれているか知っている。

彼は私を試しているのだ。

(彼はお金目当てだと思っている。これはゆすりだと思っているんだわ)

その考えが胸を刺し、私の恐怖に新たな屈辱の層を加えた。

「保護を」

私の声は震えていたが、はっきりしていた。

「私の…夫、健司が、私を精神科施設に強制入院させようとしています。今も、彼の手下が私を探しています。この契約書が…私にとって唯一の希望でした」

玲の目が、ほとんど気づかないほどに細められた。

「橘ホールディングスの、健司か」

それは質問ではなかった。彼は私の夫が誰であるか、正確に知っていた。

もちろん、知っているだろう。彼らはライバルなのだから。

「はい」

私は囁いた。

彼はもう一度、長い沈黙を守った。その視線は、私の乱れた姿――安物のスクラブ、目に浮かぶ野生的な恐怖――をなぞった。

彼は計算していた。私には想像もつかない変数を、天秤にかけていた。

「契約は履行しよう」

彼は言った。その言葉は、裁判官の判決のような最終性をもって告げられた。

安堵の波が私を襲い、頭がくらくらした。

「しかし」

彼は続けた。その声はさらに低くなった。

「この取り決めの条件については、完全に明確にしておこう。私は君に私の名前を与える。絶対的な保護を提供する。誰も君に手出しはさせない。その見返りとして、君は公の場で九条院夫人としての義務を果たす。君は名目上の妻であり、それ以上でもそれ以下でもない。これは取引だ。愛情を期待するな。友情を期待するな。それ以上のものは何も期待するな。理解したか?」

彼の提案の冷たさは、顔を平手打ちされたようだったが、それは私が歓迎する平手打ちだった。

それは正直だった。

健司の息苦しい嘘の網の後では、玲の残酷なまでの明快さは、奇妙で、苦い種類の安堵だった。

彼は見せかけをしていなかった。

彼は檻を提供していたが、それは安全な檻だった。

「理解しました」

私は、かろうじて囁くような声で言った。

私には他に選択肢がなかった。

彼は一度、鋭く、決定的な動きで頷いた。

インターホンのボタンを押す。

「エヴリン、婚姻届を持ってきてくれ。それから、法務チームに30分後に区役所で会うように伝えろ」

事が進んでいる。

本当に、進んでいる。

数時間のうちに、私は病院の囚人から、九条院玲の婚約者になったのだ。

彼の秘書がフォルダーを持って入ってきた、ちょうどその時。

オフィスのドアが、勢いよく開け放たれた。

健司が、怒りの仮面をかぶって飛び込んできた。

彼は二人の高価そうな弁護士を従えていた。

彼の完璧なスーツはわずかに乱れ、髪は雨で湿っていた。

彼は野生のようで、追い詰められていた。

「そこにいたか!」

彼は唸り、その燃えるような怒りの目が、私を捉えた。

「こんなことをするだろうと思っていたぞ!」

彼は私に向かって大股で歩き、私を掴もうとするかのように手を伸ばした。

「詩織、正気じゃないぞ。君は病気なんだ。家に帰るぞ」

彼の弁護士たちが一度に話し始め、玲に対して法的な脅迫をまくし立てたが、玲は微動だにしなかった。

彼はただ、どこか detached な好奇心を持って、その混乱が繰り広げられるのを見ていた。

「彼女は俺の妻だ!」

健司は叫んだ。その声は静かなオフィスに響き渡った。

「彼女は精神的に不安定なんだ!サイコブレイクを起こしている金目当ての女だ!」

彼は玲のデスクにファイルを投げつけた。

それは磨かれた木の上を滑り、中身をぶちまけた。

捏造された精神鑑定報告書。

私の信頼性と自由を剥奪するためにデザインされた、嘘で満たされた書類。

それを見て、吐き気がした。

「彼女には助けが必要なんだ」

健司は言った。その声は今や、玲に対する演技として、偽りの懸念のトーンを帯びていた。

「彼女は病院にいるべきだ。俺には裁判所の命令がある」

彼は再び私に飛びかかり、その指が万力のように私の腕を掴んだ。

その感触は電気ショックのようで、純粋な恐怖の衝撃だった。

私は叫び声を上げ、引き離そうとした。彼の突き飛ばし、冷たい大理石の床の記憶が、頭の中でフラッシュバックした。

突然、筋肉と上質な仕立て服の壁が、私たちの間に立ちはだかった。

玲は、静かで、衝撃的な速さで動いていた。

彼は私の真正面に立ち、その体で私を庇った。

彼の手が上がり、健司の手首を掴んだ。その握力はあまりに強く、健司は痛みに叫び声を上げ、その指は即座に私の腕を離した。

「私の妻に、触れるな」

玲は断言した。

彼の声は大きくはなかった。

それは致命的なほど低く、嵐を約束する静かな雷鳴だった。

部屋の温度が、20度下がったように感じられた。

健司は彼を見つめ、衝撃で沈黙し、顔面蒼白になった。

玲は、健司から目を離さずに、背後に手を伸ばし、エヴリンの震える手からペンを取った。

彼はフォルダーから婚姻届を引き出し、一本の、鋭く、意図的なストロークで、自分の名前をサインした。

彼は健司の手首を離し、一歩後ろに突き飛ばした。

そして、静かにドアのところに現れた警備主任の方を向いた。

「桐山」

玲は落ち着いた声で言った。

「橘氏と彼の同伴者を、私のビルから退去させてくれ。そして、彼を破滅させろ。経済的に。職業的に。個人的に。我々の持つ全てのリソースを使え。彼に何も残らないようにしろ。分かったか?」

「承知いたしました、九条院様」

警備主任は、厳しい笑みを浮かべて言った。

健司は、脅迫と罵詈雑言を叫びながら引きずられていった。彼の注意深く構築された世界が、リアルタイムで目の前で崩壊していく。

ドアが閉まり、オフィスは再び、耳をつんざくような静寂に包まれた。

私は震えていた。体全体が、衝撃と、恐ろしくも爽快な解放感で震えていた。

私は玲の背中を見つめた。わずか5分の間に、私の保護者、私の夫、私の復讐者となった男の背中を。

彼は一瞬、肩を緊張させて静止していた。

そして、ゆっくりと、私の方を向いた。

氷の仮面は消えていた。

初めて、彼の冷たいファサードにひびが入り、その灰色の目に浮かんでいたのは、生の、無防備な強烈さだった。

彼は一歩近づき、その視線は私のものを探っていた。

彼は身を乗り出し、その声は低く、緊急を要する囁きで、私だけに向けられていた。

「さあ」

彼は、私の衝撃を切り裂くように、その一言を言った。

「全て話せ。奴が殺した、赤ん坊の話からだ」

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