
裏切りと、母の最後の誓い
章 2
広瀬美心 POV:
鈍い痛みが体を這い上がり, 私は息を詰めて目を覚ました. まるで全身の骨が粉々に砕け散ったかのような激痛だった.
だが, 私は平静を装った. 私の顔には, 微塵の怯えも悲しみも浮かんでいなかったはずだ.
今日やるべきことは, 明確だった. 私は, 全ての準備を整えなければならない.
リビングから, 子供たちの楽しそうな声が聞こえてきた. 花と, 聖穂姉さんの笑い声だ.
私はゆっくりとベッドから起き上がり, ドアの隙間からリビングを覗いた.
花は聖穂姉さんの膝に座り, まるで本当の母親のように甘えていた. 聖穂姉さんも, 満面の笑みで花を抱きしめている.
その光景を見た私の心は, 冷たい氷でできたかのように凍りついた.
花は, 私に気づくと, すぐに笑顔を消した.
「ママ…」
彼女の目は, 私を避けるように泳いだ.
「おはよう, 花. 元気だった? 」
私は, 震える声で花に語りかけた.
花は, 聖穂姉さんの背中に隠れるようにして, 私を見た.
「うん…」
彼女の返事は, 短く, 冷たかった.
「聖穂ママ! 一緒に遊ぼうよ! 」
花は, 私の方を見ようともせず, 聖穂姉さんに抱きついた.
「あら, 花. 美心ママもいるのに? 」
聖穂姉さんは, 私に聞こえるように言った. その声には, わざとらしい優しさが含まれていた.
花は, 私を真っ直ぐに見つめた. その目は, まるで私を非難しているようだった.
「美心ママは, いつもお仕事ばかりで, 全然遊んでくれないもん! 」
花の言葉は, 私の胸をナイフでえぐり取るようだった. 痛い. あまりにも痛すぎる.
私がどれだけ, 花のために働いてきたか. どれだけ, 彼女のためにこのブランドを築き上げてきたか.
だが, 彼女には伝わらなかった.
私が仕事をしていた時, いつも聖穂姉さんが花の相手をしていた. 聖穂姉さんは, 花にとって, 理想の母親だったのだろう.
「ごめんね, 花. ママは, お仕事が忙しかったから…」
私は, 花に無理に笑顔を向けた.
「いいのよ, 花. 美心ママは疲れているから, 聖穂ママと遊んでいらっしゃい」
聖穂姉さんが, 花の手を引いた. 花は, 私を一瞥することもなく, 聖穂姉さんと一緒に部屋を出て行った.
私の体は, その場に崩れ落ちそうになった. 全身の力が, 急に抜けていくようだった.
心臓が, まるでガラスのように砕け散った. 痛みで, 息ができない.
「美心…」
リビングの奥の書斎のドアが開き, 一歩が顔を出した. 彼は, 私の顔を見て, 眉をひそめた.
彼は, 私の苦しみを理解しているわけではなかった. ただ, 私が弱っていることに気づいただけだ.
「何かあったのか? 」
一歩は, 私に近づいてきた. その声には, かすかな苛立ちが混じっていた.
「いいえ. あなたに, 話があるの」
私は, 無理に平静を装った. 私の心は, 復讐の炎で燃え盛っていた.
一歩は, 私の言葉を聞いて, ため息をついた.
「今か? 忙しいんだが…」
彼の態度に, 私の心はさらに冷え込んだ.
「ええ. あなたにとって, 非常に重要な話よ」
私は, 彼の目を真っ直ぐに見つめた. 彼の表情が, 一瞬固まった.
「婚前契約の変更についてよ. 私, 全ての財産を放棄しようと思うの」
私の言葉に, 一歩は驚きで目を見開いた.
「放棄…? 美心, 何を言っているんだ? 君の財産は, 君と僕, そして花のものだ」
彼は, まるで意味が理解できないとでも言うように, 私を見た.
「ええ. だから, あなたに全てを譲るわ. 株式, 不動産, そして私の全ての個人資産も」
私は, 静かに言った. 私の心は, 既に死んでいた.
「株式だけじゃないわ. 私が持っている絵画コレクションも, 全てあなたに譲渡する」
私の言葉に, 一歩の顔はさらに青ざめた. 彼は, 私が持っている絵画コレクションの価値を知っていた.
「なぜだ? 美心. なぜ急にそんなことを…」
一歩は, まるで私が正気を失ったとでも言うように, 私を見た.
「あなたも, 聖穂姉さんも, 貧乏は嫌いでしょう? だから, 私が邪魔しないように, 全てを譲るのよ」
私は, 皮肉な笑みを浮かべた. その場に, 冷たい空気が流れた.
一歩は, 鋭い視線で私を見つめた.
「美心, 何を企んでいる? こんな真似をするような人間じゃないだろう」
彼の声は, 警戒に満ちていた.
「疲れたのよ, 一歩. 本当に疲れたの」
私の言葉は, 本心だった. 私の体は, もう限界に達していた.
一歩の顔から, 血の気が引いた. 彼は, 私が全てを知っていることを悟ったようだった.
「あなたと聖穂姉さんが, いつから関係を持っていたのか. 私が倒れる前, 病院で何を話していたのか. 全て知っているわ」
私の声は, 静かだが, 鋼のように響いた. 一歩の体は, 硬直した.
「答えてよ, 一歩. 私の骨髄移植を拒否した理由も, ね」
私は, 彼の目を真っ直ぐに見つめた. 一歩は, 何も言えなかった.
彼の顔は, 真っ青だった.
「いいえ, あなたを責めるつもりはないわ. 私が悪かったのよ」
私は, 皮肉な笑みを浮かべた.
「私が, あなたを聖穂姉さんの元へ追いやったのよ. 私が, あなたを満足させられなかったから」
私の言葉に, 一歩は激しく動揺した.
「美心, 何を言っているんだ? 違う, 違うんだ! 」
彼は, 私に近づこうとした.
「私が持っているKIYOHOの株式も, 全て聖穂姉さんに譲渡するわ」
私の言葉に, 一歩は再び固まった.
「何を言っているんだ? 美心. その株は, 莫大な価値があるんだぞ! 」
彼は, 信じられないという顔で私を見た.
「ええ. 分かっているわ. 私は, 正気よ」
私は, 静かに言った.
私は窓の外に目を向けた. 花と聖穂姉さんが, 庭で楽しそうに遊んでいた.
「あなたたちには, 幸せになってほしい. だから, 私にできることは, これくらいしかない」
私の言葉は, 彼らへの最後の呪いだった.
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