
裏切りと、母の最後の誓い
章 3
広瀬美心 POV:
「この会社は, 広瀬美心社長が全てを投げ打って創業したものです. その彼女が, 全ての株式を広瀬聖穂氏に譲渡すると? 」
KIYOHOの本社, 重厚な役員室にざわめきが広がった. 噂は, すでに社員たちの間を駆け巡っていた.
私は, 聖穂姉さんと共に, この場に立っていた. 私の顔色は, きっと蝋人形のように青白かっただろう.
「ええ. 間違いありません」
私は, はっきりと答えた. 私の声は, 驚くほど冷静だった.
役員たちは, 互いに顔を見合わせた. 彼らは, 私の言葉を信じられないようだった.
「社長, 本当にそれでよろしいのですか? 」
古参の役員が, 私に問いかけた.
「ええ. 私は, 決意しました」
私は, 彼らの視線から逃げることなく, 真っ直ぐに答えた.
「そして, 私は聖穂姉さんを, KIYOHOの新たな社長に指名します」
私の言葉に, 聖穂姉さんの顔が, 一瞬にして輝いた.
「美心…! 」
彼女の声は, 感動に震えているようだった. だが, その瞳の奥には, 抑えきれない歓喜の光が宿っていた.
「聖穂姉さん, これからはあなたがこのブランドを牽引していくのよ. 私に代わって, ね」
私は, 聖穂姉さんに冷たい視線を向けた. 彼女の頬の笑みが, わずかに引きつった.
私は, 用意していた書類を聖穂姉さんの手に渡した. それは, 全ての株式譲渡契約書と, 社長交代の同意書だった.
彼女の手が, 震えていた.
会議が終わり, 私は聖穂姉さんに呼び止められた. 彼女は, 私の後を追って廊下に出てきた.
「美心, 本当にこんなことをして, 何を企んでいるの? 私には, あなたの気持ちが理解できないわ」
聖穂姉さんの声は, 不審と戸惑いが入り混じっていた.
「企む? 私が? 聖穂姉さん, あなたは私の全てを奪い取ろうとしたでしょう? 私は, ただあなたに, その欲望を叶えてあげただけよ」
私は, 皮肉な笑みを浮かべた.
「あなたは, このブランドが欲しかった. 一歩も欲しかった. そして, 私の命も」
私の言葉に, 聖穂姉さんの顔から血の気が引いた.
「美心, 何を言っているの? 私は, そんな…! 」
彼女は, 必死に否定しようとした.
「いいえ, 聖穂姉さん. あなたは, 全てを手に入れたわ. おめでとう」
私は, 彼女の言葉を遮った. 私の心は, 既に死んでいた.
「だが, 一つだけ, あなたにお願いがあるわ」
私は, 聖穂姉さんに向き直った. 彼女は, 警戒の眼差しで私を見つめた.
「花を大切にしてほしい. それだけよ」
私の言葉に, 聖穂姉さんの表情が, 一瞬にして凍りついた.
「花は, 私の娘よ. 私の全てだった」
私は, 静かに言った. 私の心は, 母親としての最後の願いを込めていた.
聖穂姉さんは, 何も言わなかった.
私は, 自分のオフィスに戻り, 私物を整理した. 机の上に置かれた, 花の絵.
それは, 花が初めて描いた私の絵だった.
「美心様…」
扉が開き, 長年私に仕えてきた老執事の田中が, 心配そうに私の顔を見た.
「田中, これをお願いできるかしら? 」
私は, 一つのUSBメモリを田中から受け取った.
「これは, 一体…? 」
田中の目に, 疑問の色が浮かんだ.
「私の, 復讐の証拠よ」
私は, 薄く微笑んだ.
「しかし, 美心様…これは…」
田中は, USBメモリを握りしめた. その手は, 震えていた.
「美心様は, ご自分の命を…」
「いいのよ, 田中. 私には, もう時間がない. だから, これで終わりにするの」
私は, 彼の言葉を遮った.
「美心様の, お嬢様への深い愛情は, 私もよく存じております. ですが, このような形で…」
田中の目から, 涙が溢れ落ちた.
「田中, 花を頼むわね. どうか, 彼女を幸せにしてあげて」
私の言葉に, 田中は深く頭を下げた.
その夜, 私は自宅の寝室で, 窓の外に広がる夜景を見ていた. 体調は, 最悪だった.
全身の骨が, まるで溶けていくかのような痛み. 呼吸をするたびに, 肺が軋む.
鏡に映る自分の顔は, 別人のようだった. 血の気のない肌, 窪んだ目.
私の時間は, 確実に終わりに近づいている.
明日は, 聖穂姉さんと一歩の婚約発表パーティー.
彼らが最も輝く日.
リビングには, パーティーのために飾り付けられた豪華な装飾品が, 眩いばかりに輝いていた.
聖穂姉さんは, まさに主役といった様子で, 中央に立っていた. 彼女は, 私のために作った, 特別なドレスを身につけていた.
「あら, 美心. 来たのね」
聖穂姉さんが, 私に気づいた. 彼女の顔には, 勝利の笑みが浮かんでいた.
その時, 玄関のドアが開き, 両親が入ってきた. 彼らの顔にもまた, 疲労の色が濃く表れているように見えた.
「美心, あなたも来ていたのね」
母は, 私を見るなり, 少し驚いたような顔をした. そして, 彼女の胸元には, 私が代々受け継いできたはずの, 祖母の形見のブローチが飾られていた.
「聖穂が, 美心からブローチを譲り受けたそうよ. 美心も, ようやく分別がついたわね」
母の言葉は, まるで私を褒めているようだった. だが, その裏には, 私への不満が隠されていた.
「そうだな, 美心. 聖穂を見習いなさい. 家庭を顧みず, 仕事ばかりしていては…」
父もまた, 母に同調した. その言葉は, まるで私の存在を否定するかのようだった.
彼らの言葉は, 私の心を深く抉った. 私の人生は, ずっと彼らの期待に応えようと必死だった.
だが, 私は一度たりとも, 彼らに認められたことはなかった.
私は, 彼らに背を向けた. 私の心は, 絶望の淵に沈んでいた.
パーティーが始まった. 上流社会の華やかな面々が, 会場を埋め尽くしていた.
「広瀬美心さんも, いらっしゃっているわね. 病気だと聞いていたけれど」
「ずいぶん痩せたわね. 少し悲惨な姿だわ」
人々のひそひそ話が, 私の耳に届いた. 彼らは, 私を好奇の目で見つめていた.
その時, 一歩が私の元へ歩み寄ってきた. 彼の顔には, 複雑な感情が浮かんでいた.
「美心, 本当に来てくれたんだな」
一歩の声は, どこか安堵しているようだった. 彼の目は, 私を真っ直ぐに見つめた.
「ええ. あなたたちを, 祝福するために」
私は, 薄く微笑んだ. 私の心は, 冷え切っていた.
一歩は何かを言おうとしたが, その言葉は聖穂姉さんに遮られた.
「美心, 来てくれてありがとう. 嬉しいわ」
聖穂姉さんが, 一歩の腕に抱きついた. 彼女の指には, 私が贈ったはずの, ダイヤモンドの婚約指輪が輝いていた.
そして, 彼女の胸元には, 母がつけていたはずの, 祖母の形見のブローチが.
「一歩さん. 私, 本当に幸せよ」
聖穂姉さんは, 一歩に甘えた声で言った.
「聖穂. 私もだ」
一歩は, 聖穂姉さんの肩を抱き寄せた.
彼らは, 壇上に上がり, 挨拶を始めた.
「私は, 美心に心から感謝しています. 彼女がいなければ, 今のKIYOHOは存在しなかったでしょう」
一歩の言葉は, 完璧な偽善だった. 私は, 無言でグラスを掲げた.
「美心, 本当にありがとう. あなたは, 私の人生の恩人よ」
聖穂姉さんは, 涙声で言った. 彼女の目には, 偽りの涙が浮かんでいた.
私の心は, 冷たい氷でできたかのように, 麻木していた.
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