
嘘つきと呼ばれた末期の妻
章 3
真理穂 POV:
私は, 藤原家からの連絡を完全に断った. 私の電話は, まるで石のように沈黙していた. 私の心も, 同じように沈黙していた.
北海道の山小屋への引っ越しは, 予定通りに進められた. 田中さんが手配してくれた引っ越し業者だけが, 私の唯一の話し相手だった. 彼らは, 私の病状を知り, 静かに作業をしてくれた.
山小屋の窓から見える景色は, どこまでも白かった. 雪が, 全てを覆い尽くしていた. 私の心の中も, 雪のように真っ白で, 何もなかった.
だが, この静かな日々も, 長くは続かなかった. 佳織は, 私の存在を, 完全に消し去ろうとしていた.
私が家を出てから数週間後, 勇太が自宅に帰ってきた. 彼は, 私がいなくなったことに, 何の感情も示さなかった. それどころか, 彼は佳織と私の部屋で, 新しい生活を始めていた.
私の服や持ち物は, 全てクローゼットから消えていた. 代わりに, 佳織の色鮮やかな服が, ハンガーにかかっていた. 私の愛用していたピアノの上には, 佳織が描いたという絵が飾られていた.
美咲は, 佳織に完全に懐いていた. 彼女は, 私がいなくても, 何の寂しさも感じていないようだった. 佳織が, 美咲に新しいおもちゃを与え, 甘いお菓子を与え, 派手な服を着せていた. 美咲の笑顔は, 私に向けられていた時よりも, ずっと明るく見えた.
義両親も, 佳織を可愛がった. 佳織は, 毎日のように義両親の家を訪れ, 手料理を振る舞い, 義母の肩を揉み, 義父の話し相手になった. 彼女は, 私が決してできなかったことを, 全てやってのけた.
私が病で苦しんでいる間, 彼らは誰も, 私のことなど気にかけなかった.
私の体は, 日ごとに衰弱していった. 食事は喉を通らず, 夜は眠れなかった. 痛みは, 日に日に増していった.
私は, 誰にも頼ることができなかった. 病院に行く気力も, もう残っていなかった.
「真理穂, お前は本当に精神がおかしいんじゃないのか? 」
勇太の言葉が, 頭の中で何度も繰り返された. 彼らは, 私の病気を「芝居」だと断じた. 私の苦しみを, 「気を引くための嘘」だと見なした.
私は, あの日の医師の冷たい声と, 勇太の冷たい言葉が, 私の人生を二つに切り裂いたように感じた.
私は, 山小屋の暖炉の火を見つめていた. 炎は, 私の心と同じように, 静かに燃え尽きようとしていた.
私は, 死を恐れていなかった. ただ, 誰にも看取られることなく, 一人で消えていくことに, わずかな寂しさを感じた.
だが, それすらも, 私の心から消え去ろうとしていた.
ある日, 私は勇太から一本の電話を受け取った. それは, 驚くべきことだった.
「真理穂, 今週末, 音楽業界のパーティーがある」
彼の声は, 冷たかった. まるで, 事務的な連絡のようだった.
「お前も来い」
私は耳を疑った. 私を追い出し, 存在を否定した彼が, なぜ今になって私を呼ぶのか.
「なぜ, 私が…」
私が言葉を続ける前に, 勇太は私の言葉を遮った.
「佳織が, お前の復帰の場を設けてやれ, と言ってくれたんだ」
佳織の名前を聞いた瞬間, 私の心臓が冷たくなった. これは, 彼女の新たな策略に違いない.
「お前も, 元作曲家として, 業界に顔を出しておけ」
彼の言葉には, 何の温かみもなかった. ただ, 世間体を気にする, 彼の傲慢さだけが感じられた.
私の手は, 震えていた. 痛みは, もう限界に達していた. 私は, ピアノの鍵盤を叩くことなど, 到底できない.
これが, 私にとっての, 最後の公の場になるだろう. 私は, そう悟った.
だが, 私は断ることができなかった. 逃げることなど, もうできなかった.
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