
妻を売った夫へ、クリスマスプレゼント
章 3
修也は私を車から降ろすと, 一言も謝らず, すぐに車を発進させた. 彼の車は, あっという間に遠ざかっていった.
私は一人, 人気のない道路に取り残された. 携帯が震えた. 優奈からのメッセージだった.
「今頃, どこで一人ぼっちかしら? 寂しい? 」メッセージには, 修也と優奈が親密そうに寄り添う写真が添付されていた.
私の胃が, キリキリと痛んだ. 優奈の挑発は, いつものことだった.
愛人契約を結ばされたあの頃から, 彼女は私を精神的に追い詰めるために, あらゆる手段を使ってきた.
でも, もう終わりだ. 私はもう, 彼女の思い通りにはならない.
私は優奈に返信した. 「ずいぶん楽しそうね, 優奈さん. でも, その幸せ, いつまで続くかしら? 」
「あなたの幸せは, 私の不幸の上に成り立っている. そんなもの, 長く続くはずがないわ」私の指は, メッセージを打ち込みながら震えていた.
「あなたは, 自分が何をしているのか, 本当にわかっているの? 」私はさらに送った. 「報いは, 必ず来るわ」
優奈からの返信は, すぐに来た. 「何よ, その言い方! あんたなんかに呪われる筋合いはないわ! 」
続けて, 別のメッセージが届いた. 「それより, あの子供, あんたのこと, すごく嫌ってるみたいよ? 『あの女, 早く消えればいいのに』って言ってたから, 心配しなくていいわ」
子供の言葉が, 私の心に深く突き刺さった. 私の体は, 微動だにせず, ただ凍りついたように立ち尽くした.
私は, もう子供との関係を修復しようとは思わなかった. この子も, 修也と優奈と同じ, 私を傷つける存在になってしまったのだから.
私は携帯の電源を切り, それを道の脇にある側溝に投げ捨てた.
パキ, という鈍い音がして, 水面に携帯が沈んでいく.
私はそこから, 歩き始めた. 葬儀場までは, かなりの距離があったが, もう引き返す気にはなれなかった.
雨が降り始めた. 冷たい雨が私の体を打ち付け, 喪服を重くした.
私は傘も差さずに歩き続けた. 雨水が私の頬を流れ落ち, 涙と混じり合った.
どれくらい歩いただろうか. ようやく葬儀場にたどり着いた時には, 私の体はすっかり冷え切っていた.
葬儀場の入り口で, 受付の男性が心配そうに私を見た.
「松尾さん, ずいぶん濡れていらっしゃいますね. 大丈夫ですか? 」
「ええ, 大丈夫です」私の声は, まだかすれていた.
私は小さな礼拝堂へと向かった. そこには, 私の恩師であるパティシエの師匠が眠っていた.
祭壇の上には, 師匠の遺影があった. 優しそうな笑顔が, 私を見つめていた.
師匠は, 私がパティシエを目指していた頃, 誰よりも私を応援してくれた人だった.
「理子, お前のお菓子には, 人を幸せにする力がある」
そう言って, いつも私を励ましてくれた.
私は師匠の遺影の前で, 静かに膝を折った.
「師匠…ごめんなさい. 私, パティシエの夢を, 諦めてしまいました」
私は, 修也の会社を救うために, 長谷川廉と愛人契約を結んだことを, 師匠にだけは打ち明けたかった.
その契約のせいで, 私の声は出にくくなり, パティシエとしての道も閉ざされた.
「でも, 師匠. 私, もう一度, 頑張ってみます」私は心の中で誓った.
師匠は, 私が愛人契約を結ばされた時, 唯一, 私を心配してくれた人だった.
「理子, 本当にそれでいいのか? お前らしくないぞ」
師匠の言葉が, 今でも耳に残っている.
修也は, 私が長谷川との契約を受け入れた後, まるで私が汚れたもののように扱った.
「お前は, この家のために身を削ったんだ. 感謝しろ」そう言って, 彼は私を蔑むように見た.
優奈は, 私が長谷川と会うたびに, 私を貶めるようなメッセージを送ってきた.
「どうだった? お金持ちの相手は? 気持ちよかった? 」
私は, 師匠が亡くなる数ヶ月前, 修也との関係が一時的に改善されかけたことがあった.
彼が, 私のパティシエとしての才能を認めようとしてくれた, ほんの短い期間だった.
「師匠, 私, もう修也を許すことはできないわ. でも, あなたのことは, ずっと忘れない」私は師匠の遺影に語りかけた.
私は, 心から彼らのことを憎んでいた. 私から, 大切なものを全て奪い去った彼らを.
「私はもう, あなたの人生には関わらない. だから, どうか安らかに眠ってください」私は静かに手を合わせた.
私の目から, 涙が止めどなく溢れ落ちた. それは, 師匠への悲しみと, 私自身の人生への絶望の涙だった.
私はどれだけそうしていただろうか. 気づけば, 礼拝堂には私一人しか残っていなかった.
受付の男性が, 心配そうに私の部屋を覗き込んだ.
「松尾さん, もうお帰りにならないと. 体が冷え切ってしまいますよ」
私はふらつく足で立ち上がった.
「ええ, もう行きます」
男性は私を食堂へと案内してくれた. 温かいお茶と, 簡単な食事が用意されていた.
私は男性に感謝の言葉を述べ, 静かに食事を終えた.
再び, 雨が降り始めていた. 私は来た時と同じように, 傘も差さずに歩き出した.
冷たい雨が, 容赦なく私の体を打ち付けた. 私は震える手で, 服のポケットを探った.
携帯は, もうなかった. 側溝に投げ捨てたことを思い出した.
「どうしよう…」私は途方に暮れた. こんな雨の中, どうやって家に帰ればいいのか.
私は震える腕で, 公衆電話を探した. だが, こんな田舎道に, 公衆電話などあるはずもなかった.
私は, もう誰も頼る人がいないことを, 改めて痛感した.
私は, 誰かに助けを求めようとしたが, 私の声は, かすれてうまく言葉にならなかった.
私の体は, 限界だった. 私は歩道に膝をつき, 震える体で空を見上げた.
その時, 一台の車がゆっくりと私の横を通り過ぎた.
車の中には, 修也と優奈, そして子供がいた.
彼らは楽しそうに笑い合っていた. 私の存在に, 気づくこともなく.
「ああ…そうか」私は悟った. 私は, 本当に, 彼らにとってどうでもいい存在なのだ.
私は震える手で, 壊れた携帯を拾い上げた. もう一度, 修也に電話をかけようとした.
だが, 私の携帯は, すでに電源が入らなかった.
私は, 壊れた携帯を, 再び雨の中に落とした.
私は, ただ一人, 雨の中で立ち尽くしていた.
「もう, 何もかも, 終わりだ」私の心は, 完全に絶望に沈んでいた.
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