
砕けた心の鎮魂歌:冷徹な夫への永遠の別れ
章 2
ガラスのテーブルに叩きつけられたタブレットの音が、静まり返った広いリビングに響き渡った。鷹司暁の足が、静から三歩手前で止まる。
彼は窓から差し込む僅かな月明かりを頼りに、妻の姿を眇めた目で見つめた。
「また何を癇癪を起こしている」
氷のように冷たい声だった。
静は腕を組み、背筋をまっすぐに伸ばす。
「女主人の務めとして、経費を節約しているだけですわ」
その声は、感情を一切排した平坦なものだった。
暁は眉を顰めた。いつもの彼女から香る従順で甘い匂いがしない。代わりに、人を寄せ付けない冷気が漂っている。
彼は一歩踏み出した。革靴が床を打つ音が重く響く。体格の差で彼女に威圧をかけようとした。
だが、静は退かなかった。それどころか、一歩前に出て、彼の瞳をまっすぐに見上げる。
「外で夜を過ごすのでしたら、わざわざ停電の家に帰ってこなくてもよかったのに」
その言葉には棘があった。
暁の目が鋭く光る。彼は静の言葉の裏にあるものを敏感に察知し、その細い手首を乱暴に掴んだ。
「痛っ…」
静は息を呑む。振りほどこうともがくが、暁はさらに強い力で彼女を胸元に引き寄せた。
「俺の忍耐力を試すな。鷹司家の女主人に嫉妬は必要ない」
暁の吐息が静の耳にかかる。彼のスーツに残るあの甘ったるい薔薇の香水の匂いが、静の胃を掻き乱した。
「離して!」
彼女は力の限り、彼の胸を突き飛ばした。
不意を突かれた暁が、半歩よろめく。彼の怒りに火がついた。この女は自分の気を引くために、理不尽な真似をしている。そう結論づけた。
次の瞬間、彼は静の身体を横抱きに抱え上げた。
「やめて!」
静が抵抗し、彼の身体を蹴るが、暁は意にも介さない。彼は暗闇の中、二階の寝室へと大股で向かった。
主寝室のドアを蹴り開け、暁は静をキングサイズのベッドに叩きつけるように投げ落とす。
静が身を起こそうとするより早く、彼の大きな身体が覆いかぶさってきた。片手で彼女の両手首を頭上で押さえつける。
罰を与えるような乱暴なキスが降ってきた。だが、暁の目は閉じられたまま、その動きは機械的で、まるで彼女の反応を確かめることすら拒むようだった。
静は固く唇を閉じ、必死に抵抗する。
暁は彼女の顎を掴み、無理やり口を開かせようとした。
「妻としてのお前の義務だ」
冷酷な声が、暗闇に響く。その口調には一片の熱も感じられない。
静は顔を背けた。屈辱に濡れた一筋の涙が、乱れた髪の間に消えていく。
彼女の身体が人形のように硬直していることに、暁は気づいた。彼の動きが一瞬止まる。だが、すぐに支配欲がその躊躇いを覆い隠した。彼は彼女のシルクのネグリジェを、力任せに引き裂いた。その振る舞いは、ただの工程をこなすかのように無機質だった。
事が終わった後、暁はガウンを羽織り、ベッドのシーツにくるまって縮こまる静を見下ろした。彼は何も言わず、ただ静を一瞥しただけで、すぐに視線を外した。
彼は一本の煙草に火をつけた。暗闇の中で、赤い光が明滅する。
煙草の煙が暗闇に揺らめく。暁はベッドの上で人形のように横たわる静を見下ろしながら、胸の奥に妙な苛立ちが渦を巻くのを感じていた。彼女の虚ろな瞳が、何よりも彼を責めているようで、息が詰まる。これは支配でも快楽でもない。ただ、自分でも制御できない衝動だった。彼は乱暴に煙草をもみ消すと、まるで自分自身から逃げるように、一瞥もくれずに言葉を続けた。
「本家からの要求だ」
その声には何の感情もなかった。
「体を整えろ。俺が取締役会での地位を固めるには、正当な跡継ぎが必要だ」
「跡継ぎ」
その三文字を聞いた瞬間、静の身体が激しく震えた。指がシーツを固く固く握りしめる。
——三年前、手術室の無機質な照明の下で、医者が彼女に告げた言葉が、まざまざと脳裏に蘇る。
「子宮は温存できました。ですが、損傷は極めて深刻です。自然妊娠の可能性は極めて低く、仮に妊娠したとしても、母体の生命に危険が及びます」
あの瞬間、世界のすべての音が消えた。彼女は手術台の上で、ただ天井を見つめながら、その宣告を静かに受け入れるしかなかった。
静は喉の奥に広がる血の味を飲み込んだ。
「あなたの子どもなんて、絶対に産まない」
その声は掠れていたが、しかし揺るぎない決意に満ちていた。
煙草を挟んでいた暁の指が、ぴくりと止まる。彼の目が一瞬にして険しくなった。この女は出産を盾に自分を脅しているのか。
「フン」
彼は冷笑を漏らし、灰皿に煙草を押し付けた。そして身を屈め、静の頬を掴む。
「子供を産む以外に、お前に何の価値がある?」
静は目の前の男を見つめた。かつて命を懸けて愛した男。
心はもう死んでいた。
「価値がないと思うのなら、離婚してください」
一言一言区切るように言った。
暁はそれを駆け引きの一環だとしか思わなかった。彼は静の頬から手を離し、バスルームに向かう。
「お前に離婚を切り出す資格はない」
背後で冷たい声が響いた。
バスルームから栓を回す音がしたが、水は一滴も出ない。暁の苛立ちを含んだ舌打ちが、静寂の中に落ちた。
静は暗闇の中で、スマートフォンを探り当てた。
そして、弁護士に一通のメッセージを送る。
『明日、手続きを開始してください』
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